誇らしさというのは、自分が自分自身で守るべきものだと思う。何かに失敗してしまったとき、自分の誇りがまるで全て失われたような気になってしまうこともあるだろう。でも、それは絶対に違う。間違った行動をしてしまったとき、怒られてそこで反省をする。次はどうしようかと考える。それが積み重なることによってできるのが、きっと、誇り。だから、誇りを高く持ち続けなくてもいい。成功の有無よりも、その後に自分がどのような選択をするのかそれが最も大切なことだ。私は、失敗するだけで終わらない、そこから少しでも掴み取れる人でいたい。
心の健康と体の健康は関係し合っていると、よく聞く。自分が元気なら、気持ちは上を向く。周りの人が元気なら、うれしいと感じる。つらくても、健康ならば、少しは元気が出るだろう。
周りを気にする余裕があるのも、趣味を楽しめるのも、人の笑顔を見て自分が思わず笑顔になるのも、きっと健康でいられるから。だから、自分をおろそかにはしない。人の体調も気にかけられる。そんな人でいられるようにしたい。
君の奏でる音楽の良さを感じられる。それはとても素敵なことだ。世の中には音や音楽が溢れていて、身近にある。そう思えば、それはすばらしいことなのではないかと思う。聞きたいときに、自分のお気に入りの音楽を聞くことができるのだから。
音楽を生み出してくれる人に感謝と応援を。
自分ができないことをやってくれる人がいる。
そんな人がいたら、その人たちがしてくれることを当たり前に受け入れるのではなく、特別なものとして、その贈り物を受け取るべきだ。
私は、音楽を作り出す人にはなれない。でも、作り出す人たちにありがとうと感じられる、伝えられる人になっていきたい。
麦わら帽子と聞くと、自然と夏を連想する。
私にとって、夏は一瞬で過ぎ去ってしまうものだ。春夏秋冬。気温や日の暮れは異なっても、一緒にいたい人は変わらない。大事にしたい人は減らないし増えていく。なんだかそれが無性にうれしくて、そう感じることがくすぐったい。
これからも出会う人を大切にしよう。夏の季節にはそんなことをふと思う。
私は終点も起点だと思っている。一つひとつの出来事に区切りはあるかもしれないけれど、未来のことにまったく関わらないわけではなくて、必ずどこかでつながると感じるから。だから、失敗してもそれで終わりになるわけじゃない。次があって、今の失敗もいつか過程の一つになる。
私は、何かに対してあきらめたりはしたくない。目の前のことに、やるべきことに真摯に向き合える人でありたい。