香水
ジャンポールゴルティエが君が好きだと言ったから、買いもしないで♥︎リストに入れてある。
ただの友達。
言葉はいらない。ただ…
ぎゅっと抱きしめて欲しい?いいや、やって良いのは人による。
生きてて良いって認めて欲しい?いいや、たいていの他人は、人の生死は漠然と生が当然だと思っている。
美しい景色に見惚れていたい?いいや、感動は一瞬で、すぐに失われてしまう。
考えると言葉が溢れてきてしまう。
そうだ。この頭の中で鳴っている言葉がいらない。
突然の君の訪問。
同じアパートの子が、一緒に遊ぼうと呼びに来た。
びっくりした。
全然準備できないし、パジャマだったから、ドアの前に立って貰っていて。
とにかく急いだ。
そのあとは、いつもと変わらず、楽しめた。
純粋に、誘ってくれることは嬉しい。
マナーだとか言われる場合もあるだろうが、そういうのは理解はしている一方で、相手に伝えるものではないと流した。
ただ、流しきれていない澱が、忘れられない記憶となって残っている。
この複雑な感情につける名前を、まだ私は待ち合わせていない。
私の日記帳
初めて日記帳をつけたのは、小学校の授業でだった。授業の度に書いていって、1冊埋まった。
中学校では1日の行動時間と感想を毎日記録して提出する課題があった。
それとは別に自分だけが見る日記帳もつけていて、小学校〜高校まで書いて、やっと1冊書き終えた。
背表紙にDiaryとある、ちゃんとした日記帳で、小学校の学童で開催されたお祭りの景品だった。お祭りで他に何を貰ったか、誰と遊んだか、楽しかったとか嬉しかったとか書くうちに段々書かずに置いておかれた。
小学校のうちは、日記も誰かの為の”良い”評価を書くべきで、自身の賞賛の語彙の不足や体験ごとの情報量に辟易していたきらいがある。小並感というものであろう。
大学からは専ら携帯のメモ帳が日記帳だった。
Evernoteを使っていたけれど、iPhoneのメモアプリに変わり、最近では、この書く習慣アプリが日記帳のようになっている。
日記帳といえば、
何を書くと正しいのか分からなかった。今も、正直に言えば、分からないし、間違ったことを書いている可能性への不安はないとは言えない。
なぜ書いているのかという問いにも、うんざりしていた。この文章も、書き捨てにして忘れてしまえるだろうに。
頭の中の言葉が足りなくて、今でさえGoogleで調べながら書いているのに、書くページ数にノルマまであって、文章を書くこと自体が苦痛で、もっと辞めたいと思って、それでも書いてきた時間がある。
現在では、普段考えようとしなければ、そうした恐怖に気が付かないくらい自然に文を紡いでいられる。それは、積み重ねの結果だ。
思うに、続けることが好きという感情の実感に繋がるのだろう。得意じゃないけど続けているから、好き。
膨大な文字の海で漂いながら、ボトルメッセージとなることを夢想して、今日もお題に試行錯誤する。
向かい合わせ
食事の席で、
向かい合わせに座る人が、
幼いころはまだ決まっていなかったので、
母になるか父になるかで
だいぶ気の持ちようが違っていたのを思い出す。
呼称は理解していたが、
親のことも
自分のことも
どこか他人であるかのような気がしていた。
家族になるまで、
時間がかかったなぁ。