私の日記帳
初めて日記帳をつけたのは、小学校の授業でだった。授業の度に書いていって、1冊埋まった。
中学校では1日の行動時間と感想を毎日記録して提出する課題があった。
それとは別に自分だけが見る日記帳もつけていて、小学校〜高校まで書いて、やっと1冊書き終えた。
背表紙にDiaryとある、ちゃんとした日記帳で、小学校の学童で開催されたお祭りの景品だった。お祭りで他に何を貰ったか、誰と遊んだか、楽しかったとか嬉しかったとか書くうちに段々書かずに置いておかれた。
小学校のうちは、日記も誰かの為の”良い”評価を書くべきで、自身の賞賛の語彙の不足や体験ごとの情報量に辟易していたきらいがある。小並感というものであろう。
大学からは専ら携帯のメモ帳が日記帳だった。
Evernoteを使っていたけれど、iPhoneのメモアプリに変わり、最近では、この書く習慣アプリが日記帳のようになっている。
日記帳といえば、
何を書くと正しいのか分からなかった。今も、正直に言えば、分からないし、間違ったことを書いている可能性への不安はないとは言えない。
なぜ書いているのかという問いにも、うんざりしていた。この文章も、書き捨てにして忘れてしまえるだろうに。
頭の中の言葉が足りなくて、今でさえGoogleで調べながら書いているのに、書くページ数にノルマまであって、文章を書くこと自体が苦痛で、もっと辞めたいと思って、それでも書いてきた時間がある。
現在では、普段考えようとしなければ、そうした恐怖に気が付かないくらい自然に文を紡いでいられる。それは、積み重ねの結果だ。
思うに、続けることが好きという感情の実感に繋がるのだろう。得意じゃないけど続けているから、好き。
膨大な文字の海で漂いながら、ボトルメッセージとなることを夢想して、今日もお題に試行錯誤する。
向かい合わせ
食事の席で、
向かい合わせに座る人が、
幼いころはまだ決まっていなかったので、
母になるか父になるかで
だいぶ気の持ちようが違っていたのを思い出す。
呼称は理解していたが、
親のことも
自分のことも
どこか他人であるかのような気がしていた。
家族になるまで、
時間がかかったなぁ。
やるせない気持ち
伝達というよりか些細な機微が伝わらなくて、もどかしく、諦めに似た感情になったことはあるだろう。
8/22に、私も好きな歌手の宇多田ヒカルさんが、実母の死から10年経ち、X(旧Twitter)に呟いた内容が話題になっていた。
分かるはずのないことを理解しようとするのではなく、「理解しきれない事象」を受け入れ「理解できないと理解すること」を学んだ。
考えてみると、当たり前だから、だからこそ。
きっといつか分かり合える
なんてことがないと分かった
それは、体と心が追いついたのか、合理性に基づく判断なのか、はたまた、別の人にはその人なりの説明がつくだろうということも認めて、考える。
まだ霧の中に居るようだ。
海へ
北海道函館朝市は
なんでも美味しいけれど、
中でもタラバガニが美味しかった🦀
山形県由良海岸の釣り堀が
¥1,200で釣り放題お持ち帰り自由で
コスパ最高💸
富山県氷見漁港の
きときとのお魚は
鮮度が段違いで忘れられない。
裏返し
伝えたいこと
裏返しにして
襟が詰まって
言葉に詰まった
反面教師も良いけれど
いつか疲れてしまったら
表に返して
流され行くの
いつまでも
リバーシブルじゃいられない
染みと掠れに負けた側から
裏に周って
見せない姿
頑張っているのは分かっているから。
空回りしてたら力を抜く
大丈夫になるまで下準備の期間
いろいろ、身につけて生きよう。