お気に入りのワンピースを着て恋人と行った水族館
あのときはまだケンカも知らなくて
一緒に歩くのに慣れず、2、3歩後ろを歩いていた
少し離れた祖父母と一緒に家族で行ったレストラン
そのすぐ後に祖父がしゃべれなくなるなんて
思いもしなかった
あのとき交わした言葉たちが愛おしい
思い出したくてそこに訪れても
もう言葉は跡形もなく
新しい物語が紡がれていく
今ある言葉たちを思いっきり抱きしめて、
あの月のなかに閉じ込めておきたいのに
手を繋ぐのがとてもすき
あまり口数が多くないあなたが
私のことを大切に思ってくれているとわかるから。
たくさんおしゃべりしてくれないのは
言わなくても伝わると思っているから?
それとも、何も考えていないから?
だんだん巻き込まれる不安の渦のなか
街角の小さな喫茶店を曲がった角で、
サッとあなたが手を繋いでくれたとき
私の中の苦しさが救われた気がした。
自分が誰かに探されていると、嬉しくなりません?
待ち合わせ場所とかで、
いまどこいる?ってメッセージ送ってくれるとき
好きな人に言われると嬉しくなるけど
あんまりな人に言われると、
なんか逃げたくなりますよね
でも、自分が誰かに探されること自体は
やっぱりちょっと嬉しくないですか?
私は大人になった今でも、絵本が大好きだ
文字の量は少ないけど、
なんとなく展開は読めるけど、
それでも絵本のずっしり感と色彩は心ときめかす
最近は食べ物が主人公の絵本が多くてほっこりする
絵本モチーフのグッズも売っていたりして
いつまででも見ていられる
春は前に進まないと行けないような気になるけど、
過去のなかに前に進むヒントがあるような気もしたりして
私は小さい頃から、
将来の夢というものがしっくりこなかった
そもそも、
大人になるということが想像できなかったのだ
いつから大人かも分からないし、
あまり意味のないことだと思った。
それよりも、いまできること/できないことに興味があった
小学生のとき、
電車にのるときはいつも大人と一緒に乗っていた。
私は乗り換えも降りる駅も、ましてや目的場所も
わからないから、
大人についていくことしかできなかった
ひとりで乗り換えができるようになったとき
ひとりで場所を調べて、そこまで行けるようになったとき
大人になったなぁと思った
今の私は、月に行ってみたい
それは、いまできないことだからだ。
生きているうちに、できることになるのだろうか、