【冬は一緒に】
coming soon!
【とりとめもない話】
「……でね、お花屋さんのお店を出たら、ちょっとした先に屋台があって。なんだろ、スイーツのお店だったらいいなって覗いてみたの。そしたら……」
開け放した窓辺で花瓶に買ってきた花を生けながら、グレースはしゃべる。
「ホロスコープを見てくれる占い師さんのお店だったから、なぁんだと思ってすぐ離れようとしたの。でも……」
花瓶の横に置いた小さな写真立てに向って、彼女はとりとめもない話を続けていく。
「なんだか後ろ髪引かれちゃって。お客さんは誰もいないし、料金を聞いたら7ドルだって言うから、じゃあちょっと占ってもらおうかなって……」
食いしん坊のグレースにしてはめずらしいこと。すぐ違うスイーツのお店を探しに行くかと思ったのに。でも、あたしが居なくなってからは、少食気味になったのよね……お星さまになって、そんな彼女を見ていたあたしは心が痛かったわ……
あたしはちょっと前に虹の橋を渡ったグレースの主人。シャム猫って呼ばれる類の女の子。橋を渡った時は、女の子というよりもおばあちゃんだったけどね。
仔猫の頃ママとはぐれてさまよっていたら、一人暮らしのグレースと出会って一緒に暮らすことになって、仲良しになって、楽しく暮らしてたの。
グレースはおしゃべりが大好き。いつもあたしを相手にいろんなお話をしてた。仔猫の時からずっと、おばあちゃんになって、あたしが虹の橋を渡る寸前まで――――
「……懐かしい友人との再会に期待して、だって……」
占い師からくだされた星の助言なるものだそう。そう言ったあと、おしゃべりは途絶えてグレースは肩を震わせ泣き出してしまった。
「……ティファニー……会いたくてたまらない……」
あたしの青い目にちなんでつけてくれた名前よ。なかなか高貴な感じで気に入っているの。
「ちょうど一年…ハロウィンももうすぐだし、ゴーストでもいいから、会いにきてほしい……」
生前のあたしの姿を写した小さな写真立てを手に持ち、切なくつぶやいてまた静かに涙を流すグレース。やっとおしゃべりが止まったわね。今だわ!
「ミャウー!!」
彼女がたたずむ窓辺の外で、思いっきり大声を振りしぼって鳴いた。
ミャウー!ミャウー!なんどもなんども。
そうよ、会いにきたのよ、帰ってきたのよグレース。あなたがおしゃべりを止めるまで、ずっと大人しく待っていたんだから!あなたの懐かしい友人のあたしはここよ、ミャウー!
あたしの声に涙でグショグショなビックリ顔でグレースが窓から身を乗り出した。そしてすぐ下の芝生の上でうづくまる、まだ生まれてひと月もいかないシャム猫のあたしを見つけると、さらに口をパックリ開けたおかしな表情になって。そのうえさらに呆れたことに、彼女、窓から外へ出てきたの!
「ティファニー、ティファニー!ああ、帰ってきてくれたのね!また一緒よ、私達!」
あたしを抱き上げると苦しいぐらいに強い力で抱きしめ、辺りをはばからずに大声ではしゃぎまくる。もう、近所の人が何ごとかと見ているわよ。まったく、困った下僕なんだから。お星さまになってあなたを見守っていくつもりだったけど、あなたはあたしを恋しがって毎日泣いてばかりだった……やっぱりあたしという御主人さまがいないとダメなのよね。だから帰ってきたわ、虹の橋を戻って、生まれ変わって。
さっきとは違う涙で、グレースの顔は大洪水。ペロペロと頬を舐めてあげると、グレースはグスグスと鼻をすすりながらニッコリ笑って鼻キスを返した。
「明日、占い師さんのところへいって、再会できたことを報告しようと思うの。あなたも一緒に連れて行きたいんだけど」
わかったわ、と目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らせて伝える。グレースがクスクス笑って家へと向い、今度はちゃんとドアを通って中へ入った。
「それじゃ、今から仔猫用のミルクを買ってこなくちゃ。おなかペコペコでしょう、あなた、ものすごく軽かったもの」
そうよ、ここへたどり着くまで大変だったんだから……て、虹の橋を渡って戻ってきたあとのことはあんまり覚えてないんだけれど。ソファにあたしを乗せるとグレースは大急ぎで出かける支度をする。ととのうと、あたしの頭にキスしてブランケットを掛けてくれた。
「じゃあ行ってきます、ティファニー。またお留守番、よろしくね」
そう言って慌ただしく出て行った。何もかも昔のままの部屋。笑顔に戻ったグレース。帰ってきて本当に良かった。彼女が戻ってくるまで、おなか空いたのガマンしてなくちゃね。それには寝て待つのが一番だわ。それにグレースが帰ってきたら、これまでの彼女の積もる話をきっと長々と聞かされるに違いないもの。今のうちに睡眠をとって養生しておかなくちゃ。
今度はグレースとどんな楽しいことをして過ごせられるのかしら……そんな夢を見てお留守番してるわね。
【風邪】
atishoo!
ジェイムズは今日、十回目のくしゃみをした。
不味いな、どうやら風邪をひいてしまったようだ……洟をかむと気怠い仕草で洗面所へ向かい、薬箱から解熱剤を取り出して服用した。
もうすぐ交代の時間、それまでに少しは快復してくれるといいが。そう念じながら身支度をする。
三十分後、現場へ到着すると、同僚で見張り役をしていたトムがさりげなく物陰から近づいてジェイムズにすばやく耳打ちした。
「ついに動き出した。俺は一度本部へ帰り、応援を連れてすぐ戻ってくる。それまで頼むぞ」
「――分かった」
それだけの遣り取りを交わすと彼らは目を合わすことなく別れ、ジェイムズはトムがいた見張り場に潜んでターゲットのいる部屋を監視した。
任務に集中しているせいか、風邪のために重かった頭も身体もシャキッとし、体調不良だったことを全く忘れて張り込みを続ける。
すると。
電話で話していたターゲットが突然慌て出し、ほとんど着のみ着のままの身繕いで部屋から逃げ出そうとしていた。
ヤバい、バレてしまったか!
トムの応援はまだ来ない。危険だが、こうなっては俺一人でヤツを尾行せねば。外へ出たターゲットを確認すると、ジェイムズも見張り場をあとにしてターゲットを追った。
注意深く気配を消して、見失うことなくついていく。尾行は順調だった。人気のない裏通りに入り、空き家のような家の前で立ちどまると、ターゲットは急に辺りを見回して警戒しながらドアノブに手をかけ、中に入ろうとした、その時だった。
――atishoo!
ジェイムズは今日、十一回目のくしゃみをした。
人気のない裏通りの物陰から、微かに響いたくしゃみの音。
今まさに新しい隠れ家へと逃げてきた悪党で、その音を怪しく思わない間抜けはいないだろう……
激痛にうづく血まみれの腕と足を持て余しながら、倒れた地面の上で自分の犯したヘマを呪い、再び逃げて行ったターゲットの去って行った方向を、ジェイムズは気を失うまで眺めていた。
【雪を待つ】
「そんな、まるで雪を待つようなことですよ。もっと着実に進めていきましょう、教授」
そう言って私の若い助手はラボから陽気に出て行った。
「……現実離れしたことを言ったつもりはなかったんだが」
独り残された私は、誰に告げる気でもなく無意識に独り言ちた。
雪を待つ、とは、二十年ほど前から広まったフレーズだ。夢物語、ありえない奇跡、というような意味合いで使われる。そう、もうかれこれ全地球では、二十年以上も雪が降らなくなってしまったからだ。
「仕方ない……もう少し煮詰めるか」
まだ助手は三十歳手前のはず。そんな彼の意見をいれて、再考してみるのも無駄ではないだろう。
幼い頃、現実に眺めた雪景色の記憶をぼんやり蘇らせながら、今年で五十歳ちょうどになる私は、研究課題のデータに没頭していった。