光はあまり強くない方がいい
朝に空が白みだした頃や
夕方に日が沈んだあとの
やわらかな光が丁度いい
もともと強い光は苦手で
パソコンのディスプレイは明るさも輝度も
30%くらいに落としているし
スマホは常にダークモードだ。
道路沿いにあるサイネージも
眩し過ぎてあまり見れないときがある
LEDで目立つのも結構だが
ずっと見ていたい程 やわらかい光を使った
表現が好きだし 見ていたいものだ
鋭い眼差し。あんまり自分では意識しないけど
昔関西に居たとき
鋭い眼差しで相手を睨むことを
「メンチ切る」と言ってた。
友達同士でメンチ切る練習もした。
勿論半分は冗談…半分は実用に備えて。
ヤンキーではないので使う場面は殆どなかった。
ただ他の地方に越したあと、友達に
そういう目付きが出来ていいなぁと言われたのは
結構びっくりした。
全くそんなつもりもなかったのに
友達に対して無意識に人相悪いことしたかと
ちょっと反省したけど
いい意味に受け取ってくれた友人は
ホントにいいやつで、ありがたかった。
飛行機が空に昇っていくとき
窓際から地上を見るのが好きだ
(勿論ベルトサインは消えてから)
離陸して暫くすると
湾の縁がくっきり見えたり
空から見るとこんなに違うんだという
新鮮な実感だった
高く高く飛ぶほど
自分の居た地上が愛おしく
懐かしくさえ思える
日頃の想像を超え過ぎて
現実感がなくなるときが
ふっと怖くなって
長くは見ていられないんだ
ちょっと大人げないようだが
子どもは体力や能力に伸びしろがあるのが
正直羨ましい。努力のしがいもある。
子どものように無邪気な気持ちで居られるのは
まだ自分の可能性が発展途上で
これから伸びることがわかっていることも
一つの要因だと考えている。
大人になると
自分の性能を維持、劣化させないように
努力をする…後ろ向きな意味合いが多いと感じてしまう。
やりたいことは沢山あるのだが
昔より疲れやすくなっており
経験値のおかげで要領は多少良くなったけど
あの頃のようには、身体も頭も動ききってくれないもどかしさもある。
努力に見返りがあるかどうかの計算高さを自覚してしまい、我ながら苦虫を噛み潰すなどニヒルになったりもする。
もういちど子どものように
未来の不確実さに比例するかのような量で
希望を持ちつつ、未来に向き合って
生きていきたいものだ。
カーテンの向こうに誰かが居る
相部屋で入院することになったが
隣にどんな人が居るのかわからない
女性であることは間違いないけれど
夜中にいびきの音が響き渡っているのだ
カーテンで仕切られてる上に
いつの間に入院患者は入れ替わっているから
音のヌシが何処の誰なのかもわからないまま
よく寝たのかわからない時を過ごした
入院したことなど殆どない私だが
カーテンの向こうに誰か不明な人がいることが
入院で一番怖い経験だった。
普段行くクリニックでも
ベットのカーテンの向こうに誰かが居ると
ちょっぴりホラー味を感じてしまうのは
私だけだろうか