十三年前の今日の話をしようと思う。
当時、学生だった私は試験期間のため、午後休だったので家にいた。
揺れはじめたときはいつもの地震かと思ったが、そんなことはなく、激しく揺れても机の下に入ろうとしない母に頭を守るように怒鳴り付けた記憶がある。
地震が止まってからは学校の校庭に避難した。いま思うとこれは悪手だった。もし、私の町にも津波が来ていたら、助からなかったに違いない。
校庭には他にも避難してきた人がいて、心細そうにしていた。母の携帯でニュースを見ると、ちょうど母の故郷辺りが津波で飲み込まれる映像がリアルタイムで流れていた。
校庭の避難民に向けて、何も知らない中学生が「みなさん、大丈夫ですよー」と窓から叫んだ。何も大丈夫ではなかった。このときほど、若気の至りの恐ろしさを感じたことはない。
家に帰ってからはテレビとネットで情報収集に勤しんだ。実家から連絡がくるまで一睡もしなかった母に父も付き添った。母の実家は半壊したが、家族はみんな無事だった。ただ、知り合いの何人かは亡くなったらしい。
ネットでは母の故郷が火事になったという情報もあったが、すぐには伝えなかった。本当か嘘か、判断がつかなかったからだ。結局、恐る恐る伝えるとどうしてすぐに言わないのかと言われた。言わなくてもいいこともあるのだと、そのとき知った。
市が避難所を設置したと聞いたので見に行った。避難している人は一人もいなかった。窓から覗き込んだ私に職員の人が手招きしてくれたが、悪いことをしていると思った私は逃げ出した。
思えば、当時の私は軽率な行動が多かった。
母に対して、もっとできることがあったのではないかと思う。私が決意したことといえば、自立をして両親に迷惑をかけないようにしようという人の気持ちに寄り添わないものだった。
当時の、突然の非日常に地面に足のついていなかった自分へ。
お母さんに寄り添ってあげて。その人がいま、一番辛い思いをしているのだから。
愛と平和と時々ばくだん
過ぎ去った日々。
この年齢にしてようやく、この言葉の重みが分かった。あの頃は本当に楽しかった。毎日に不安もなかった。笑って泣いて過ごしていた。
大人になったいまはもうひたすら赤ちゃんになりたいと思っています。一回赤ちゃんになったら、ストレス一気に吹き飛びそうじゃないですか。あれもいやこれもいやしてよしよしされたいです。
お金より大事なもの、と聞かれて愛やら命やら答えるのは簡単だけど、実感として分かっているかというと、そんなことはない。
お金が失われてゆくことの痛みだけは、はっきりしているから、ついお金に重きをおきがちだ。
憎悪を知らず、死も知らず。頭ぱっぱらぱーのしあわせものだと思う。
本当の月夜を感じてみたい。
ここでいう本当の月夜とは、人工の明かりの一切ない場所で見る月のことだ。
きっと、とても素敵なのだろうと想像を膨らませている。