十年後の自分からの手紙に宝くじ当てた、とか書いてないかな。間違っても過去の自分への恨み辛みは書いてないといいな。
一番ショックなのは手紙が届かないことかな。死んでるってことだよね。
自分のためにチョコは買います。誰にも文句は言わせない。
待ってて、というお願いは信頼関係がないとできない。
もし大切な人から待っててとお願いをされたら、いつまでも待てるような人間になりたい。
伝えたい気持ちを持つことがなくなって何年も経つ。
子供の頃は素直に泣いたり怒ったりしていたけど、もうそんなことをできる年齢ではない。
気持ちを伝えて何かが変わるという成功体験を得られずにここまで来てしまったから、伝えても誰にもどうにもできないと諦めの境地でいる。
ストレスの対処法は他人に期待しないことらしいし、強い感情は持つだけでストレスになるから、なるべく起伏少なくエコに生きてるつもりだ。
つまらないかもしれないが、私はこの生き方が性に合っていると思っている。
この場所で生きていくしかないと思っている。
現状に不満があるなら生きる場所を変えたらいいという意見を見るけれど、私には違う場所で生きている自分が想像できない。
ただ人生経験が足りないだけ、意志薄弱で臆病なだけ、と言われたらそうだと返すしかない。
しかし今年、少しだけその意識を変えることがあった。
震災だ。
半島の先という交通網が弱い地域で起こった災害。
ネットではその土地を離れるべきだという意見が複数あった。また、一時的な避難ではなく、恒久的に離れたほうがいいと諭す者もいた。
しかし実際に現地を離れて避難生活を送る方もいる一方で、その場所に残りつづける人もいた。
テレビのニュースでは、地元のために、自分のためにここで生きていきたいと語る人がいた。
東日本大震災のときの原発事故で地元を一度は離れた人が、その土地に戻って生活している様子を紹介している展示があるともニュースでは見た。
わざわざ不便なところで不平不満に耐えながら生きる人を賢くないと揶揄する人いるだろう。
しかし私はその生き方はとてもかっこいいと思う。頑張ってほしいと応援している。その人の決断は正しかったのだと証明されてほしいし、その人自身にここで生きて幸せだったと思ってほしい。
この場所で生きていくしかない。
この言葉は逃げではなく決意の表れなのだと、自分を奮い立たせている。