耳を澄ます時、私は同時に目を瞑る。そうすると耳だけに集中できるから。真っ暗な視界の中、聞こえてくる音を頼りに、想像力を掻き立てる。今聞こえてくるのは、隣で寝ている母親の寝息だ。それは規則正しく、時々いびきをかいている。聞いている感じ悪夢は見ていないだろう、それだけで安心する。
今、私は起きている。寝ていたが、起きてしまったのだ。ホットココアを飲み、一息ついてからベッドに入った。その間母親がずっと寝ていた、と考えると愛しく感じる。この夜は知らなくていい。こんな憂鬱な夜は、知らなくていい。私が情緒不安定だというのもあるが、誰だって深夜に1人だったら寂しくなったり、憂鬱になったりするものだろう。きっと母親もこの夜を知っているはずだ。でも、いつも頑張ってくれている母親は、夜くらいは休めたらいいなと思っている。
そして私は、母親の寝息を頼りに、もう一度眠りにつこうと思う。ママ、いつもありがとう。
色はいろいろな表現に使われる。多様性を表現する時は虹色を使うし、落ち込んでる時はブルーな気分という様に青色を使う。1色ごとに受けるイメージが違うから様々な表現が生まれるのだろう。そんな色達が集まったらどのような印象を受けるのか。集まった色達の全体を見ると綺麗に見えるだろう。人とは違う色が集まって明るい印象を受ける。しかし、その色達が混ざったらどうなるだろうか。あまり綺麗とは言えない色になるだろう。もし黒色を持っている人がいたら、他の人も黒色に染まってしまってしまうかもしれない。白色を持っている人がいたら、たくさんの色に染まりすぎて、自分を見失うかもしれない。人に例えて説明したように、これは人間関係にも同じことが言えるだろう。集団行動の時は自分の色を控えめにしないと、どうしても衝突が起きてしまう。では、受け入れるという形はどうだろうか?自分の色をはっきりさせたまま相手の色を吸い込んでしまう、ということである。または、パレットのように別のスペースにその色を置く、という形でもいいだろう。そうすることで自分の中に今まで知らなかった色(考え、感情)が加わり、より豊かな人間になれるだろう。しかし、これを実現させるには、まず自分はどんな色を持っているのか知る必要がある。人と関わりたくさんの色を知り自分に近い色を知るのもいいと思うし、自分の生い立ちを振り返り、自分が持っている色を別の視点から考えるのもいいだろう。自分の色を持ちつつ、パレットにたくさんの色を残せるような心の広さを持てたらいいなと思う。