優越感、劣等感
右手でお箸を持ち
左手でスプーンを持つ。
右手にナイフ、左手にフォーク。
それは普通か……。
右手に鉛筆、左手に消しゴム。
右利きのバッターボックスに立ち
左手でボールを投げる。
右足でアクセルを踏み
左足でブレーキを踏む方が便利?
そう言うと、車を運転するなと
旦那に叱られた。
ハサミは右手、包丁やカッターは
左手で持つ。
もともと左利きだったけれど
お箸や鉛筆は父親に直された。
そのおかげで、右も左も揃って
優劣つくことなくよく動く。
これまでずっと
学生から社会人になって
自分で稼ぎだしたら
高い服も買っちゃって
ハイヒールを履いて
パーマをかけて茶髪に染めて
どんどん垢抜けていった。
社会人から母親になったら
子供中心の生活になって
楽な服装と靴を選ぶようになって
白髪を隠すカラーを定期的にして
それなりの年相応になった。
母親+パートタイムで働き出したら
子供の成長を見守りながらも
自分も新しい環境で成長できた。
少し気持ちの余裕ができて
好きな服でアクセサリーをつけて
身なりを整えるようになった。
身長は随分前に止まったけれど
これまでずっと進んできたんだな。
目が覚めると
私の日常は7時にはじまる。
目覚しアラームを止めて
今日の予定を思い出す。
午後から仕事……以上。
学校の出欠連絡フォームで
子供の欠席をメールする。
毎日同じことを入力するので
クリップボードに内容を保存しておいた。
少しは気が楽になる。
今日の天気は……雨。
洗濯物は乾燥機を使おう。
ここでやっとベッドを降り
まずはトイレへ。
ひとつ書き漏れていた……。
アラームを止めた後
まずは娘の気配を探すのだ。
起きてるかな。寝てるかな。
頭の中は、娘で始まり娘で終わる。
母親とはそういうものなのだ。
私の当たり前
当たり前にそばにいる。
当たり前に元気でいる。
その当たり前が当たり前ではなくなると
慣れていなくてあたふたする。
当たり前は当たり前でないと
いけないのだ。
街の明かり
いつもの街並みなのに明かりが眩しくて
帽子を深く被り目を伏せた。
自分でじんわり沈んでいるなと感じる。
こういうときは足掻かず
薄いサングラスもつけて
ゆっくり沈んでおこう。