『人生はやり直せないクソゲーである』
このゲームは
スタート地点も残機も運だのみだ。
何ステージあるかも分からない。
共通して最初は皆、
完璧なスコアを目指す。
「自分こそが最高なクリアをしてみせる」
と、意気込む。
しかし、
取り返しのつかない事をしてしまい、
投げやりになる人が多い。
「あの時、あそこの隠しステージに行けばこの先楽だったのに…」
「あそこで隠し武器手に入れてれば…」
「あそこで焦らず、もっとレベル上げていれば楽だったのに…」
と、後悔する。
それでも、
後悔してる間もゲームは進んでいく。
そして後悔ばかりしていると、
また大切なアイテムを取りこぼす。
自分が来たかったステージとは違うと、
始めの頃と比べて
ヤル気がどんどんなくなる。
どんどん適当になる。
ふと、隣の人の画面を見る。
同い年のその人は
とても楽しそうにゲームをしていた。
しかし、
アイテムを取りこぼしてばかりで、
お世辞にも上手くはない。
スコアも低い。
これではランキング圏外だ。
ふと、考える。
「誰から評価して欲しかったのだろう」
「どこにクリアがあるのだろう」
「そもそも、このゲームに攻略法などあるのか?」
悩んでいても自分のゲームは進む。
すでに自分のゲームには興味がなくなってしまった。ただ残機だけに注意して危ないステージを避けるだけの作業になっている。
同い年の人のゲームが
突然終わった。
その人の最後の表情を見て気づく。
あぁ…楽しめば良かったのか…
小さな幸せ
小学生の頃、
自分もいつか好きな人ができて
家庭を築くのだろうなと思った。
そんなことを暇さえあれば、
いつも妄想していた。
恋人とのデート。
結婚して家庭を持った自分。
「いつか、未来の家族のために」
と思い、
お年玉やおこづかいを貯金しはじめた。
恋人が出来たときのために
デート資金積立。
結婚した時の結婚式のために。
子供が生まれたときのために。
『いつの日か積立』である。
しかし現実は、
20になっても恋人はできず、
30を過ぎてもできず、
40過ぎからは仕事以外で異性と
話す機会はほとんど無くなった。
『いつの日か積立』は
社会人になってからは
投資にもまわしていた。
今では数億円にもなっている。
未だに1円も使っていないし、
使う予定すらない。
自分は今年で60歳になる。
どんどん歳をとっていく自分と
あの頃に思い描いた理想の乖離で
精神的におかしくなった時もある。
いっとき、
犯罪に手を染めそうになった。
そんなときは
「自分に子供がいたらどうする?」
と、妄想した。
「子供に誇れる親でいたい」
という答えが、
自分に理性を取り戻させてくれた。
いつになったら
『雷に打たれる』のだろうか。
運命の人と出会ったとき、
『雷に打たれたような』
という比喩を
本気にしているひとの人生である。
春爛漫
『ルナビーム』
七色のプリズムから放たれるソレは
地球防衛の要であり、
人類最強の兵器だった。
ソレは月の裏側にある。
今の私達は誰も知らない。
まだ宇宙戦争があった時代である。
私達は平和を勝ち取った。
あの時、人類はひとつになっていた。
あの時代の人々は想像も
しなかっただろう。
平和になった地球で
人類同士が醜く争うなんて…
「最高の試合だった!
試合には負けたが、
レギュラーも控えもサポートも
みんな一丸となって頑張った!
俺はこのチームを誇らしく思う。
みんなのことは一生忘れない」
野球部上級生最後の試合。
監督が涙ながらに語った。
みんな貰い泣きしていた。
補欠の私も泣いた。
私が帰りのバスに乗り込もうとした時、
「この菓子折り放送室に届けといて」
と、監督から紙袋を渡された。
放送室から帰ってきた時、
バスはすでに出発していた。
私は泣いた。
記憶
「あの時の〇〇がなければ、
今の自分はありません」
よく成功者が言いそうな言葉。
〇〇が無かった人生を歩んだのが
私です。
いや、〇〇を乗り越えなかっただけか?
〇〇を避けただけか?
もう二度と無い人生。