揺れる度に錆の音を立てて、一人公園に佇んでいる。曇天の空は鈍色に沈んで、帰るべき時間が到来していたことを理解した。とはいえ、あんな所へ帰っても仕方がないのだが。所在なく揺れるブランコに背を向けて、家路についた。足取りが重いのは母が待っているせいだろう。
家に私の居場所はない。母の再婚相手は、私より少し年上くらいの男性だ。私との歳の差よりも、母との歳の差の方が大きいくらいだ。悪人ではない。しかし、彼は私に興味がない。好きな人と結婚をしたら、付属していたもの、という程度の認識なのだろう。会話は常にぎこちなく、どこか儀式めいている。母もそのことには気がついているとはおもうのだが、彼との関係を繋ぎ止めることに必死で、私のことを気にとめている暇はないようだ。
あの人の前の母は別人のように見えて、3人で顔を合わせる度に知らない人と相席してしまったような不快な違和感が頭を満たしてしまう。家の中から居場所が失われた人間はどこに帰ればいいのだろう。
学校が始まるまで、ここにいようかな。どうせあの人たちは私を探さない。
踵を返してブランコに座ると、座面と連結する金具が軋んだ。曇天模様の隙間から夕焼けが覗いていた。視線の方向から2台の自転車。大きなバッグを肩に提げている。逆光で顔は見えなかったが、1人は自転車を停めたようだ。もう1人に手を振って、その後こちらに歩いてくる。
「檜原さん、こんなところで何してんの」
夕焼けと頭が重なる位置に来て、ようやく声の主がクラスメイトだったことに気づいた。
「井上さん」
井上さんは私のクラスメイトだ。クラスの中でも目立つ方で、常に隅っこを陣取る私とは関わる機会がほとんどない。
頭の中でもっともらしい言い訳を考えるが、思いつかない。慌てる私を見て、不思議そうな表情。
「夕焼けが……綺麗で」
私の回答に一瞬ポカンとして、振り向く。
「ん、たしかに」
隣のブランコにカシャンと座った。
そのままゆっくり漕ぎ出して、少しずつ振れ幅が大きくなっていく。頼りなく感じていたが、ブランコの鎖は意外と丈夫だ。
「井上さんはなんでここに」
「部活帰りはいつもここ通るんだ。遠回りなんだけどね。友達の帰り道がこっちだから。そしたらたまたまウチの制服見っけたから」
「そうなんだ」
「ブランコ、小学生以来かも。懐かしいね」
曖昧に頷くと、井上さんが笑う。
「何その反応、もしかして普段結構乗ってた?」
「漕ぎはしないけど、たまに」
「そっか!私は今日!漕ぎたい気分なんだ!」
そう言って井上さんは前後に激しく振れる。夕焼けに染まる横顔は、普段教室で見えているものとは違う気がした。
「何かあったの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
そこで言葉を切って、息を吸い込んだ。
「今日!外部から練習見に来たコーチから!プロは無理って言われたんだ!」
どうして、とは聞けなかった。井上さんは中学の頃から地元では有名なバスケ選手だった。全国大会にも出場して、希望者で応援に行ったこともある。
素人目にも分かるくらい上手く、凄いと思ったのを覚えている。
しかし、それだけでは足りないのだろう。それを生業にするには、プラスアルファで圧倒的な何かが必要なのだろう。
そして、おそらくそれは私には理解できないものだ。
「そっか……」
「自分で言うのもなんだけど、結構バスケには自信あったんだよね。このまま続けてれば、もしかしてプロになれちゃうんじゃないかって思ってた」
ブランコの音が痛いくらいに軋む。
「だけどそうじゃない。きっとプロになれる人はもしかして、だなんて甘えた考えでやってないんだ。さしてきっと、他人に少し言われたくらいで簡単に納得しちゃえるようなものじゃないんだ」
風が強い。電線がヒュウヒュウと鳴っている。
「やりたいことが自分に向いてないってわかった時、どうしたらいいのかな」
ごめんね、愚痴っちゃって。と笑顔を貼りつける井上さんを見ていると、どうしようもなく、寂しい気持ちになった。
膝に温い感触が落ちた。
「え!檜原さん、泣いてる?どうしよう、ごめんごめん」
ブランコを足で止めて、井上さんが驚く。
「ごめん、なんか悲しくなっちゃって」
「ねぇ、そんなこと言われたら、私も、もう」
涙が止まらない私を見て、井上さんも泣き出してしまった。ブランコは風でキシキシと鳴いている。
そのまましばらく、居場所を失った私たちは2人で泣いていた。
「あー、泣いた泣いた。ごめんね、付き合わせちゃって」
井上さんは泣くのに急に飽きたかのように、ふるふると顔を振って立ち上がった。
「暗くなってきたし、帰ろうか。家はこっち?」
「うん、井上さんは反対側だよね」
「うん、じゃあここでお別れだね」
「お別れって、明日も教室にいればいるじゃない」
たしかに、と井上さんは笑った。
自転車を漕ぎ出そうとして、少し止まる。
振り向いた顔は暗くてよく見えない。
「明日もここ来ていいかな」
辺りはすでに夕闇に没して、自分たちの影もよく分からない。
「あ、でもいつもいるわけじゃないのか。ごめん、忘れて」
そうつけ加えて、去ろうとする井上さんの背に触れた。
え、と困惑した声で振り向く。
「いいよ。井上さんが来るなら、いつもいてあげる」
困惑した顔が笑顔に変わるのが見えた気がした。
「ありがと、じゃ、また明日」
遠くなっていく背中を見送って、今度こそ家に歩を進める。足取りはさっきよりも軽い。
いていい場所がどこかにあるだけで、私の足はこんなにも弾んでしまうのだ。