27. 秋風
服の中 身に染みて清冽 紅鏡から来た風
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秋風のお題を見たら、中学生のとき書いたものを思い出した。
赤い陽から服の内側我が身に染みる高西風
10月17日に書いたらしい。当時は気に入っていたが今見返すと酷い。というのも、高西風は住んでいる地域では吹かないのだ。西という方角の都合良さと知らない言葉を使って格好つけたいという気持ちから無理やり使った。それが中学生という生き物だ。
こいつをメモから引っ張り出してくるときに気づいたことがある。
(自分は)精神的なストレスが掛からないとアウトプットしない。
過去のメモを遡ると、恥ずかしい文面が色々並んでいた。今日引いたものは運良くマシなものだったが、黒歴史すぎるものもあった。とにかく、当時は詩に満たない何かを時々書いていた。誰に見せるでもなく、スマホのメモアプリに。見方次第では狂っている。
しかし、高校の入学式の数日前を最後にそういうものは書かなくなっていた。止めようと思っていたのではなくて、気づいたらそれきりだった。
高校生活が、体力面はさておき精神的に辛すぎないものだったのならば素晴らしいことだと思う。それでも、せっかく拙いなりに色々書いていたのが途切れていたのでは勿体ない。
と言うわけで、
赤い陽から服の内側我が身に染みる高西風
こいつをリメイクしてみたのが冒頭のやつ。↓(さっきから呼び方に困っているが、俳句でも詩でもないこれは何なんだ?)
服の中 身に染みて清冽 紅鏡から来た風
これも来年には黒歴史なんだろうけど、久しぶりだから書いていて楽しかった。赤い陽は紅鏡にした。赤の意味を残してやったのは、元の方は赤い車の中で書き起こしていたから。
その車は赤のAudiで、今年買い替えてしまって今はもう乗れない。その車が好きだった。2歳のときに買ったらしいが、当時の記憶はない。最初の記憶は3歳の頃祖父母のもとに半年ほど預けられていたときに見た姿だ。クリスマスの時期に父が欲しかったDVDを渡しに来てくれた。父が帰りを見送ったときの車は赤く、まだ新しくてピカピカしていた。その後もあの車で色々な場所に行った。15年経って今の車に変わっても、赤い車のことは気に入っている。
そういうこともあって、赤には少し特別感があるので残した。紅の字に変えたのも、あの車の色味からしてしっくりくるから問題ない。
長くなってしまって何を書いていたのか分からなくなってきたのでそろそろ終わり。来年も書き直そうかな。
25. スリル
指揮台と舞台の縁の間を通るとき、毎回落ちるんじゃないかと思う
24. ススキ
月曜日、文化の日の振替休日に山とも呼べない森を不慣れながらも歩いてきた。眺望の良い場所に出たときに、ふと、見渡せる景色よりも目の前で揺れるすすきへ注意が移った。今年は秋という秋を感じなかったものだから、感激してしまったのだ。やってみないと気づかない豊かさがあるのだなと思いながら、深みを目指して再び歩き出した。
23. 脳裏
身体はこれ程にちっぽけな存在だというのに、脳裏はどこまでも続いていく気がする。知覚できる範囲や感情の生じる範囲、想像や表現できる範囲にも。そしてこれからも広がったり形を変えたりするのだろう。
22. 意味がないこと
意味がないほうが気楽だ。この文章も然り、意味はないままに書いている。もし意味があるものであれば、どのみち後から付いてくるだろう。
意味がなくてもやってみれば骨格が現れる。忘れた頃にふと思い出したら甘い綿が付いているかもしれない。そんな無責任な期待に任せて、綿菓子の木の棒携えて歩き回っている。