にゃあ

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3/17/2026, 3:24:10 PM

〜執筆中〜



3/16/2026, 3:30:32 PM

人が怖れから行動することに疑いはない。

しかし、人々が怖れるものとは、遥か昔から変わらない。

人を殺したばかりの人間が怖れるものは何か?
自らの同胞である人間を殺した自らではない。
手に滴る赤い血ではない。

料理人が怖れるものは何か?
客ががノロウイルスにかかることそれ自体ではない。
包丁で自らの手を傷つけることではない。

環境活動家が怖れるものは何か?
地球に降りかかる恐ろしい運命ではない。
減っていく緑や、ましては住処を追われる動物のためなどではない。

政治家が怖れるものとは何か?
我らが日本が他国に劣ることではない。
良い政治ができないことそのものではない。

性的マイノリティを擁護する一般人が怖れるものとは何か?
性的マイノリティが迫害されることではない。
多様性が失われることではない。




彼らが怖れているものは『自身の破滅と衰退』である。




殺人鬼が怖れるものは今後の自らの行く末である。
料理人が怖れるものは自らに対する視線と星の数である。
環境活動家が怖れるものは自らが住めなくなることである。
政治家が怖れるものとは自らが表に二度と出れなくなることである。
性的マイノリティ擁護者が怖れるものとは自らが認められず、何処にもいないことに気づくことである。


皆怖れていることは同じである。
だが人々はひた隠しにする。
人は、誰かのために、と思った時には知らずのうちに己のことを考えているというのに、動物が生き残るために他の動物を殺すことは自明であると言うのに、まるで利己の心が悪であるかのような振る舞いをする。


問題は破滅と衰退の定義と、回避の手段を履き違えることである。
なぜ一部のフェミニストは男性や様々なものを叩くか?
彼らの破滅とは「自らがどこにも所属できておらず、何も爪痕を残せず、認められていないこと」である。
決して、「女性の権利が守られないこと」ではない。

彼らの破滅とその怖れはなんら悪いことではないというのに、彼らの心を守る分厚い殻はそれを覆い隠す。

そして、その手段として既存の主張に縋り、組織に入った妄想に囚われ、その他を叩くことは破滅の回避ではない。
それはその怖れによって目が眩み、あらぬ方へ走り出しているだけである。

破滅と衰退の定義を考えるには多くの時間が必要である。
そしてそれを回避するためにはもっと多くの時間と努力が必要である。
人工知能に頼ってはならない。
あなたが人であるためには、悩み、努力せねばならぬ。















存分に、自らのために生きよう。
人は、破滅と衰退を遠ざけようとする時が最も美しい。
あなたのための人生が素晴らしいものであることを願っている