この季節の祭りといえば夏祭りだろうか
今年は仲のいい友人たちと花火を見た
帰りは電車で帰ったのだが、人が多すぎて大変だった
足も痛くて、体も疲れてて精神が限界だった
帰り道は短いはずなのにとてもとても長く感じた
友人と一緒に帰って、長い長い話をした
その友人は男で、彼を好きな子が私の知り合いにいた
けれど、私はその知り合いによく分からないいじめ紛いなことをされて、心が傷ついた
「仲が良い」これを免罪符にしてマウントくらい取ったって許される
そう思い、私は彼がうつるストーリーを載せた
少し性格が悪いかもなぁ、と思ったけれど悪いことではないと思う
もちろん、花火も綺麗で楽しかった
まだ夏祭りに行く予定がある
楽しむしかないだろう
誰かのためになるならば、私は自分の損を考えない
誰かが、幸せであってくれたらそれでいいと私は思う
全員が、幸せであることなんて無理だし、実現できない
誰かが損や、我慢をしなければ幸せになれない
幸せでいることと同時に我慢をしていること
私は、私なら我慢をしているときでもきっと幸せを見つけることができると思う
友情とはなんだろう
私は一度人間関係で怖いことが起き、それ以来なんとなく人を信頼できていない
けれど、一人だけちゃんと友情を感じる人がいる
一人だけと書いたが、一人でもいれば十分なのではと思う
沢山あれば、あるほどもちろんいいと思う
少ないからダメというわけではないだろう
私にとって友情は、私が唯一何にも考えずに掴める綱だと、思っている。
私の部屋は家の花壇のようなものが近くから見える
色んな花が自然に咲く
その花たちが咲いたら、自分のことを迎えに来てくれる王子が来るかもしれないと淡い希望を抱く
そんなことはないのだけれど
それでも、画面の中の推しは私に夢を見せてくれる
別に恋をしているわけじゃない
でも、画面の中の推しのせいで私の理想がどんどんつけ上がっていく
授業で学んだ、「シンデレラコンプレックス」
これとはちょっと違うような気もするけど、似ていると思う
花が萎んだらきっとそんな想いも終わる
もしもタイムマシンがあったなら、常に私の近くに置いておきたいと思う
友達、親、全てのときにおいて、戻りたいと願うときが多い
自分が後悔しないように使いたい
まあそんなことはないのだけれど
タイムマシンがなくてもなんとかここまで、生きているのだから別に大丈夫だ
技術が進化した暁には、タイムマシンも出来るのだろうか
だとしたら、乗ってみたいような気もする