「なぜ君がここに...?」
君はもう遠くのとても賑やかな街に行ったと思っていた...
なのになんで...?ここはお墓だよ?亡くなった人が来る場所だよ?君が1番来ちゃいけない場所なんだよ?
あの公園であのいつもの場所で!独り言だったけどまるで僕が見えてくるかのように話していた君が死んじゃったなんてありえない...
今ならまだ間に合うかもしれない...ほら!戻って!生き返って...!そしてそのまま、ここには来ないで...
君にはまだ来て欲しくなかったんだよ...
あぁ...もう暗くなっちゃったね...
あそこなんだか賑やかそうだね...
...そうか、僕が死んだその日...その日は遠くの街でお祭りがあったんだった...僕は誰かと行っていてその誰かが何かの下敷きになりそうだった時に僕が庇って死んだんだっけ...?w
僕は誰と行ったんだろ...上手く思い出せない、
そうだ!僕ね?君と初めてであった時何故か懐かしいって思っちゃったんだ
それがすごい不思議でたまらなかったんだ
今なら君とお話出来る、僕が忘れているだけできっと会ってるんだ!
でも...
君はどうして僕を見たら泣き出してしまったの...?
君は今どこにいるのだろうか
いつも僕の隣で座っていた君はいつしか来なくなっちゃった
最初は不思議に思ったけど君が来る日を信じて1年間ずっと同じ場所で君を待っていたよ
そういえば今日は僕がこの世界からいなくなっていた2年が経つ
僕の家族がお参りに来てくれるんだ!
あれ...?今日はお客さんがいるのかな?
お隣に来たけどそこには誰もいな...え?
どうして君がここにいるの...?
私にとって小さな命というものは沢山ある。
植物や人や犬などの動物だけではなくロボットやテレビ...動くものには全て命はあると思う、だがこれら全ては私にとって大きな命とは思わない。
なぜなら自分の命が1番大切だからだ。そう言われるとみなさんは他のものや人は自分の命と同じぐらい大切だと言えるだろうか?
私は先程も言ったとおり自分以外の命は自分より大きいものでは無いと思っている。
みなさんはこんなニュースを見たことあるだろうか。
今から6年前(2017年)にあった福岡県大川市川口小学校で実際に起こった「ゴールポスト事件」について、その内容としては当時小学4年生の男児が体育の授業中にサッカーのゴールキーパーをしていたところゴールの上部から垂れ下がっていた"ネットの1部"にぶら下がりゴールが倒れ下敷きになり死亡したという内容だ。
この事件を聞き、みなさんはその男児のことを可哀想だと思うだろうか。思う人も思わない人も勿論いるだろうだがそれは本当に可哀想と思っているのだろうか?心のどこかではどうでもいいと思っているのかもしれません
勿論、感じ方は人それぞれです絶対に「可哀想」「可哀想じゃない」と決められてる訳ではありません。
私はこの事件を聞いて可哀想とは思いましたが正直どうでもいいです。自分にとって全く知らない人が亡くなっても自分はその人のために泣きませんし何かしようとも思いません。そのぐらい私にとって亡くなった男の子の命は小さいものなんです。
他の人、ものに対してもそうです。
時計が突然動かなくなって使えなくなってしまった時あなたはその時計に対して悲しいという感情を抱きますか?何回も言いますが感じ方は人それぞれです。
どう思うにもその人が思うことはその人の正しいことです。
なので私は他の命は自分の命より大きいものでは無い小さな命だと思っています。