雪明かりの夜
遠い日のぬくもり
揺れるキャンドル
大人はいつも綺麗事ばかりだと思う。
思ってもいないことをぺらぺらと喋って、取り繕うことばかり上手くなって、本当の自分を巧妙に隠して。
実際はもっと醜くて悪辣な人間のくせに。
崇高な善人ぶっていると、そう思う。
そんなものに私はなりたくない。
絶対にならないと決めていた。
人生は光の回廊みたいなものだ。
東の通路を歩く。
淡く太陽が昇り、桜が舞う。
春は出会いと別れの季節。
南の通路を歩く。
太陽は空高く、私たちを照らす。
夏は情熱の季節。
西の通路を歩く。
太陽は地平線に沈み、赤い葉が落ちる。
秋は実りと追憶の季節。
北の通路を歩く。
太陽は消え、雪が降り積もる。
冬は静寂の季節。
回廊を一周しても特に何も変わらない。
二周目も、三周目も、その一周前と変わらない。
そうして十周目。ふと気がつく。
ああ、大人になっている。
一周目と比べるとたしかに身体は大きくなり、感情のコントロールができるようになった。
嫌いなものを嫌いと言わなくなった。
十一周目。十周目と変わらない。
何周しても、何も変わらない。
二十周目も十九周目と変わらない。
そして、背筋が冷える。
十周目よりも大人になっている。
明らかにあの卑怯で無様な偽善者に近づいている。
変わったのはいつだ?
いつからこんな意味のない言葉を吐くようになった?
もう遅い。
この回廊から抜け出す方法を私は知らない。
こうして変わっていく自分を恐れながら、これからもこの世界に矯正されて生きていくのかもしれない。
もしかして、あの大人たちもここにいたのだろうか。
今もここにいるのだろうか。
本当はもっと素敵な人だったんじゃないか?
この回廊を歩いているうちに歪んでしまったのか。
口当たりのいい綺麗事は私たちを迷わせる。
全部嘘だから、支離滅裂だ。
美しい正義のベールは、本当は醜いこの世界の真実を包み隠しているだけ。
美しいものにはトゲがあって、光のある場所には必ず影が存在する。影のない世界など所詮虚構に過ぎない。
光の回廊は私たちを閉じ込める。
荒ぶる猛獣も、美しい羽をもつ鳥も、ずる賢い人間も、檻の中では等しく無力なのである。
"光の回廊"
⚠️見ようによっては兄妹恋愛要素を含みます⚠️
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「𓏸は世界で1番かわいいね。」
そう言って笑った兄の顔が、私の1番最初の記憶だ。
しんしんと窓の外では純白の花びらが舞っている。
美しいと思うけれどこの寒さだけはどうにも許容できないから、早く春になってほしい。
「𓏸、そろそろ飯できるから座ってな。」
「はーい。」
カーテンと窓の隙間から顔を引っこ抜いてダイニングテーブルにつく。
キッチンを動きまわる6個上の兄の背中を見つめる。
兄はいつだって、私にだけ特別甘い。
私が生まれた時から兄は私だけのヒーローだった。
その「だけ」が崩れはじめたのはいつからだったか。
会社の同僚と笑い合った時の笑顔を、私は知らない。
いつも私に見せるのは私が愛おしくて仕方がないというような、溶けかけのチョコレートみたいな笑顔だから。
兄が好きな食べものを、私は知らない。
いつも兄が選ぶのは私が好きなもので。俺もこれが好き、一緒に食べればなんだって美味しいと言うから。
兄が苦手なことを、私は知らない。
いつも私の目に映る兄は完璧だ。その裏にどれほどの努力があるのか、私には想像もつかないくらいに。わたしには弱いところなんて見せてくれないから。
昔から兄の1番は私だった。
私だけが特別で、私だけが兄の世界の中心だった。
それが嬉しくて、誇らしかった。
完璧な兄の唯一の宝物として愛されるのはこれ以上ないくらいに幸せだった。
そうして何年か経って、兄にも夢ができた。
大切な人もできた。兄の宝物は沢山増えた。
それはたしかに喜ぶべきことなのに、私は上手く笑えなかった。
ずっとずっと、心の奥が冷えてじんわりと痛い。
霜焼けになっても温めてもらえない、心の1番奥の方。
窓の外は純白に覆われていく。
私の心も純黒に染まっていく。
「もしかしてお腹空いてない?箸止まってる。」
「…あ、ごめん。ちょっと考えごと。」
「なんか困ったこととかあったら絶対言えよ?俺が何とかするから。」
「うん、ありがとう。」
こんな汚いものには蓋をするべきだ。
兄を困らせるに決まっている。
兄には幸せでいてほしい。
この気持ちは嘘じゃない。
だけど、もう少しだけ甘えさせて。
この汚いものがいっぱいになるまで。
溢れそうになったら遠くに捨ててくるから、それまで。
寂しいよ、お兄ちゃん。
あのね。大好きだよ。
"降り積もる想い"