君と最後に会った日
東京に状況してきて早くも3年が経った。
東京での生活も慣れてきて、上京したての初々しさはなくなっていた。こっちでも友達ができ、毎日そこそこ楽しく過ごしている。
そんなある日、ふいに通知が来た。それは写真アプリからだった。アプリを開いてみると、数年前の今日の写真が特集されていた。それらは地元の友達と遊んだ時に撮った写真であった。
「なつかしい、、、」
私はあの時しか経験ができない輝かしい毎日を思い出して感傷に浸った。地元の友達の中でも一部とは今もたまに会うが、上京して以来会えていない友達もいる。
今も元気にしてるかな、そうやって君と最後に会った日のことを思い出す。
また今度連絡してみようかな
これはどうしたものか。友達と約束をしていたが、待ち合わせ場所に到着したところでちょうど「今日来れなくなった」との旨のメッセージが届いた。初めは動揺し落胆していたが、ずっとここでそうしていてもしょうがない。
どうしようか、他に行く場所も特にないし、ここまで来てまた戻るのもなあ、、
そう途方に暮れていると、爽やかな風が吹いた。それはとても心地が良かった。そういえば私はこの街のことをまだあまり知らない。そう思い、私は風に身を任せて歩き始めた。難しいことは何も考えず、ただ思うがままに。すると、今まで知らなかったその街の顔がだんだんと見えてきた。
もしあの風が吹いていなければ、この出会いはなかったかもしれない。あの時、あの風が私の背中を押して新しい世界に招いてくれた。ささやかではあるけれど、幸せを感じた素敵な休日だった。
「じゃあねー良いお年をー」
私が道を歩いていると、こう言ってたくさんの荷物を抱えた小学生たちが別れていくのが見えた。これから冬休みを迎えるであろうその子たちは、満面の笑みであった。
そのような光景を見て、私は「もうそんな時期か」と思い、当時の自分を思い出した。私もあのくらいの時、待ちに待った冬休みだと大はしゃぎしていたなあ、と。そんな楽しかった思い出を懐かしく思うと同時にあの頃からだいぶ時が経ってしまったのだなと切なくなった。
「奇跡をもう一度」
ここぞという時に奇跡をもう一度と思った経験は、誰にでもあるだろう。そういう私だって何回も思ったことがある。一度奇跡を目の当たりにすると、その後またあの時みたいに上手くいかないかなという思いがよぎり「奇跡をもう一度」と願ってしまう。しかし残念ながら、そういう様に強く奇跡を願っている時に限って奇跡は起きてくれない。なんともじれったいものだ。
このように考えていくと、再び奇跡的な現象が起こることを願っている時点でその現象はもはや奇跡ではないというようにも捉えることができる。奇跡というものは起こる確率が非常に小さいから奇跡と言われるのであって、願ってそんなに短いスパンで「奇跡」が起こってしまえば、それはもう奇跡ではない現象と化してしまう。
まあ、ここまでたくさん語ってきたが、私はこれから奇跡を望むよりも、起こった奇跡を見つけて楽しむ方に焦点を当てて過ごしていきたい。