砂十みず

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3/3/2026, 4:42:17 PM

テーマ:ひなまつり

 雛人形をはじめてみたのは、まだ桜と桃の区別もつかない頃。
 ランドセルを玄関先に放り投げて、お小遣いを握りしめて向かった駄菓子屋でのこと。カラカラとガラス戸を開けて、小さな小部屋のようになったトタンの家には、所狭しと駄菓子が詰め込まれていた。
 まだ引き算が苦手だった僕は、一つずつゆっくりと駄菓子を選んでいく。手書きで書かれた値段を見ながら、かごの中に一つ入れるたびに合わせた数を忘れないよう何度も口にする。店番のおばちゃんは何も言わず、じっと待ってくれていた。
「――おねがいします」
「はいよ。ちょっとまってね」
 かごを渡せば、一つ一つおばちゃんが数えてくれる。授業よりもドキドキと緊張する答え合わせ。右から左へと駄菓子が移動するたびに、おばちゃんが数を足していく。一緒に数えていくのだけど、その日はふとおばちゃんの後ろに目がいった。

 ――思えば、僕は、呼ばれていたのか。

 水屋に置かれた湯呑みとは別に、段々に置かれた小さな人形。僕の手の平に収まりそうなくらい小さいけれど、ちゃんと着物を着て真ん中の段の人形は太鼓を持っていた。一番上は男の人と女の人。その下に女の人が三人と、男の楽器をもった人が五人。
「おばちゃん、あれはなあに?」
「ん? そうさ。あれは、ひなにんぎょう」
 あかりをつけましょぼんぼりに。数日前に音楽で聞いた歌をうたう。その歌い出ししか覚えていなかったけれど、おばちゃんはにっこり笑ってくれて間違ってはないとほっとした。
「ちいさいね? がっこうでみたの、もっと大きかったよ」
「あたしが作ったからね。あれで十分さ」
「つくったの!? すごい!」
 学校でみたのは人形一つが両手で抱えないと持てないくらいの大きさだった。けれど、おばちゃんがつくったのは、全部まとめて抱えられそう。けれど、先生はひな人形は女の子のだから、男の僕は触っちゃだめらしい。
「おばちゃんの女の子のひな人形なの?」
「せんせいが言ってたよ。ひな人形は、女の子のなんだって」
 そう言うと、おばちゃんは僕の顔をみてゆっくり首を横に振った。
「いや、ちがうよ。ひな人形は春の間、子どもを守ってくれる神様だよ」
「かみさまなの? はるだけ?」
「そうさ。春の間だけ、子どもたちと顔を合わせて、守ってくれるんだ」
 春の間だけ。神さまはいつでも見ていると、親から言われたけれど。春だけとは言われなかった。
「ずっとは、だめなの?」
「ずっと見ているとね、神さまも可愛く思って隠してしまうから。春だけなんだ」
 飾られたひな人形を見つめるまなざしは、少し寂しそうだった。
「春の間だけが、ちょうどええね」
「そっかあ」
 僕はその人形を見なくなった。あれから何度か駄菓子屋へ足を運んだけれど、もうその時にはひな人形のことなど気にも留めなかった。
 そうして、学年が上がって。大きくなるにつれて駄菓子屋へ向かう足も遠のいた。こうして雛人形の事を思い出したいま、駄菓子屋があったトタンの家は物置に変わっていた。
 名前の知らないおばちゃんは、駄菓子屋のおばちゃんのまま会うこともないだろう。
 ただ、ただ一つ、気になる事とすれば。あの雛人形だろうか。
「もう一度、見せてもらえないかな……あの雛人形」
 大人になった僕だけど、春の間くらいなら甘えてもいいだろうか。もう一度、顔を見せて
くれないか?