手ぶくろ
駅に向かう道の端、駅のホーム、たまにコンビの駐車場で見つけるもの、それは片手ぶくろ。
誰が落として、この場でどうしようもなく残された片手ぶくろ。
わたし、それが気になって仕方ない。
自分、落としてないよね?
あったあった、大丈夫!
片手ぶくろの会、ってのをやってる人がいるみたい。
同じ感覚の人いるんだね。
何だか、ホッコリします。
変わらないものはない
人の気持ちも考えも、
もちろん身体も虚ろい変わっていく。日々変わり続けているとも言える。変わらないものはない。その不安定なのが、命なんだと思う。
変わらないものがあるとすれば、絶対的な真理。その真理を見極めるのは難しいけど‥。
わたしは子供の頃から、この世の中の本当って何だろう?と考える変な子供だった。大人になっても、神さまの存在は?とか良く考えて生きてきた。
変わらないもの、それは人間の思考の及ぶものではないだろう。でも絶対的な真理に、触れてみたいと思う。きっと簡単じゃないだろうけど。
こんなちっぽけなわたしだから、先ずは、虚ろい変わり続ける自分を俯瞰することから始めてみようか‥。真理を求めて。
クリスマスの過ごし方
いつもと変わりない一日でした。
クリスマスだからと言って、さしたるイベントもなく暮らします。
ケーキもなくチキンもなく、特別なお酒もありません。
子どもたちがまだ小さかった頃は、頑張ってあれこれ用意しました。懐かしいな。楽しみに待つ子供の姿は、可愛いですから。
宗教的な裏打ちがないから、子供や恋人でもないと、商業主義に流されたイベントになるみたいで、スルーしてます。
サンタさんに特にお願いすることもないしね。無病息災は、正月に近くの氷川様にお願いするので。
ゆずの香り
冬には毎年作るゆず大根。甘酸っぱい漬け汁にしんなりした大根、そしてゆずの香り。疲れた身体に沁みてきます。
毎年、叔母がゆずを送ってくれます。そのゆずをたっぷり使い、ゆずの香り満点に作るのが、わたし流です。
有名どころの菓子折りなんかより、ずっと嬉しい頂きのゆず。
おばさん今年もありがとう!
来年もよろしくね!
寂しさ
家族と暮らしていても、寂しさを感じます。寂しさと言うより、孤独と言った方がしっくりくる。
もう一つ、先に逝ってしまった人を思い出すと寂しさを感じてしまいます。最近はこちらの寂しさの方辛いな。若い頃は経験しなかった寂しさ‥。自分が逝くまで、この寂しさを味わうのかと思うとぞっとする。
人は、生まれるときも死ぬ時もひとりなんだからなんて言い訳は、ただの慰め。生きる事は、寂しさを味わう事なのかも。これも長く生きて得たもの。
寂しさを十分に味わってから、逝くのは長生きしたご褒美?罰?
長生きなんかしたくないよ、って誰かの言葉を思い出します。