『まだ見ぬ光景』
目の前には自分の体がありました。自分の体を上から見下ろしていました。横たわる自分の周りには、両親と友達がいて、それはもう可哀想なほど泣いていました。
そこで気づきました、自分は死んだのだと。みんな泣いていました。とても悲しそうにしていました。
嬉しいと思いました。自分はこれほどに愛されていたのだと。みんなと一緒に過ごせないことは心残りですが、それ以上に、みんなの悲しむ様子が嬉しかったのです。
私は涙で前が見えなくて目を閉じました。次に目を開けると、ガランとした病室でした。周りにいた親も友達も居ません。隣の部屋から微かに何人もすすり泣く声が聞こえ、さっきの光景は隣室での出来事だったのだと分かりました。
私は頬を流れる水滴を感じつつ、未だ誰も訪れない病室の中、あの光景への僅かな期待を捨て切れませんでした。
『あたたかいね』
ストレスが重くのし掛かる。さまざまなことが引き金となって、頭の中にある鉛が主張する。
ちょっとしたストレスの発散として、好きなお菓子を食べる。美味しくて次から次へと手が伸びる。
次第に手が止まらなくなる。満腹感を感じ始めるが、口元は動き続ける。口の中の物を飲み込むたびに頭の中が軽くなる。
胃がはち切れそうになる。苦しくてトイレに向かって這う。着くなり人差し指と中指を喉奥に突っ込む。一瞬息ができなくなり、無惨な形となった物たちが吐き出される。
何度か繰り返す。顔は涙と涎で見せられたものじゃない。頭の中は何もなくなり、何があったのかも思い出せない。何も思い出せないなか、指先に残った温度だけを感じている。
『君と一緒に』
模試が返却された。前回と変わらない平凡な成績だった。また親から小言を言われるかもしれない、と憂鬱な気分になる。
家に帰ると一足先に帰っていた弟と会った。手には成績表が握られ、弟のクラスでも模試が返却されたようだった。
弟が嬉しそうに成績表を見せる。前回より大幅に点数が上がっていた。クラスで1番だ、親から褒められたと聞かされる。
弟は優秀だ。要領良く何でも器用にこなし、勉強や運動もできる。友人関係も広く、大人数で遊びに出かけることも多い。兄の俺も慕ってくれる理想の弟だ。
嬉しそうな弟は見ていて微笑ましい。弟の成長を嬉しく思う反面、ヘドロのような思いが湧き上がる。口から漏れ出ていかないよう奥歯を噛み締める。
惨めだ。弟と過ごすにつれて俺が嫌なヤツになっていく。心の内で何度も繰り返した願いごとをまた呟いた。一緒にいたくない、早く離れられますように。
『何でもないフリ』
お風呂上がり、ふと体重計が目に入った。最近は寒さで動きなくないうえ、美味しい物が多い。そっと乗って薄目で確認した。
体重計から音が鳴った。増えてた。それも予想より多い。これはまずい。これから美味しい物が多いイベントばかり控えている。ダイエットする機会がない。体重計に乗ったまま頭を抱えた。
これが昨日の出来事で、明日からダイエットすることを決めたのだ。
しかし、今目の前にケーキがある。母が買って来てくれた滅多に買えないケーキだ。口の中に唾液が溜まる。
今日はダイエット初日だ。このケーキは我慢した方が良い。だが、この機会を逃せば次はいつこのケーキを食べられるか分からない。胸の中で天使と悪魔が囁き合う。
迷って迷って、目の前はケーキが乗っていた皿だけが残った。食べました。昨日は体重計に乗らなかったし、私は何も見なかった。ちくりと胸が痛む。ダイエットは明日から。
『逆さま』
昼下がりの授業は眠くなる。特に窓際の席に座る私は注意が必要だ。満腹感と暖かい日差しがあいまって眠気が誘われる。
今日の授業も退屈だ。既に眠気はピークに達している。いっそのこと寝てしまおうか。頬杖をついてぼんやりと晴れ渡った空を眺める。
その瞬間、窓越しに逆さまの笑顔を見た。日差しが遮られ、顔に影が掛かった。瞬きをするとその笑顔は消えていた。次いで何かが激突したような破裂音が響き渡った。