日常生活もスリルに満ちている
今日 歯医者に行った
いつものクリーニング
やさしい歯科衛生士さん
でも今 地震が起きたら
この尖った機器が私の
のどおくを突き刺すかもしれない
にごった洗い桶の中の
包丁
おじいさんにとっての
ちょっとした切り株
ドアの隙間の
ねこの白い前脚
その危険を
どうにかすり抜けながら
表面 おだやかな日常は
くりかえされる
翼があれば飛びたいと
鳥のように飛びたいと
思う人は多い
青空を高く低く
美しいらせんを描き
高い音でひと声鳴く
でも私は
運動神経的にも
三半規管的にも
それに耐えられず
くるくるくると
落ちてしまう
飛べない翼をそなえ
筋肉隆々の脚をもち
土ぼこりを立てながら走る
そちらの方になりそうだ
家の前の小さな庭
去年は5月くらいになると
雑草がどんどん増えた
梅雨のひと雨ごとに
うれしそうにズンズン伸びる
2回か3回かは
草刈り機で刈ったが
とても追いつかない
まるでススキのような
イネ科植物が生い茂る
今年は春から気合いを入れた
除草シートや
グランドカバー植物の
助けを借りながら
庭をゾーン分けし
草取りを頑張る
イネ科植物は
株も大きく根も深い
水をやらなくても
根を伸ばして自ら取りに行く
君が立派なのはよく知ってるよと
声をかけてあげたい
脳裏に今でも
思い出すのは
自分は高校生には
なれないと思った
小学生のわたし
それまでに
溶けてなくなる気がしてた
三人姉弟の真ん中で
なかなか光があたらず
父母も休日は野良仕事
封建時代のなごりの環境
私は人が見えず
劣等感のかたまりで
自分が一番不幸なのだと
思っていた
そんな私も
高校生になれた
私の道はいつも細いが
自分に合った道が
なんなのか
わかるようになった
人にものを頼むのは
難しい
どんなに話し上手でも
話の底にかすかな
違和感を感じる時がある
そうなると
言葉は説得としての
意味をなさなくなる
人は言葉と心が一体となると
安心感を醸しだすものだ
母として
子にかける言葉は
子を思っての事と
信じてはいるが
子は顔をしかめる
母の話の真ん中にある
大いなる不安を
聞き飽きた
からかもしれない