暖かい春一番
びゅうびゅう、ガタガタ、吹き抜ける
柔らかい春の雰囲気とは違う、激しく強い風
油断したら飛んでいってしまいそう
せっかく咲いた桜の花も、春一番に飛ばされる
舞い上がる桃色の花びら
強く吹き荒れる桃色の春一番
風に乗って、空高く飛んでゆく
ふと前を見ると、桃色の風の向こうに、君が見えた気がしたが、一際強い風が吹き、桜が目の前を隠した後
君の影は消えていた
空に舞い上がる桜吹雪
僕の想いものせて、君のところへ登る
今の一瞬を過ぎる時間。君と見つめるこの時間。
今も、また今も。過ぎる時間は止まらない。
誰だろうか。その一瞬のことを、「殺」に「那」と書いて、刹那と言ったのは。
「殺」はわかるだろう。そのままの意味だ。
「那」は、美しいや、豊かな、と言った意味がある。
美しさや豊かさを、殺す。
なぜ、そんなような言葉を使ったのだろうか。
不思議だ。
刹那、刹那、刹那。
今も刹那だ。
僕らは、刹那を生きている。
美しさや、豊かさを殺しながら、生きている。
僕の生きる意味。
大好きなキーボード。
大切な友達。
可愛い後輩。
今思い浮かぶとなると、こんな感じかな。
もちろん、他にもあるだろう。
でも、一番に思い浮かぶのはそれくらい。
これから先、もっと大切なものができるのかな。
こんな僕でも。弱くて、ちっぽけな僕でも。
もっとたくさん、できるかな。生きる意味。
生きなければならないと、感じるもの。
この世では、人を殺すと悪。
人の大事なものを壊すと悪。
人が作ったものを壊すと悪。
この世では、人が生きると善。
人のために何かをすると、善。
人を助けると、善。
この善悪は、誰が決めたのだろう。
人以外の生き物のことは、考えないのだろうか。
人って、何をもって、「人」と呼ぶのだろうか。
足が1本でも、腕が1本無くても、目が見えなかろうと、人は人だ。
じゃあ、足が3本だったり、腕が4本だったり、目が3つあったりしたら?
その人たちは、自分のことを人だと思っていても、「人」だと認識されないのかな。
この世の中は、定義が曖昧で、ルールも緩くて、それなのに、固定概念は根深く残ってる。
そんな世界のままで、いいのだろうか。
国が、政治が、大統領が、天皇が。そんなことで、いいのだろうか。
今、君が変わるべきだ。
足が3本あるからなんだ。毛が濃くたってなんだ。手が自分より少ないからなんだ。
その生き物は、その生き物であって。君は君だけ。僕は僕だけ。
それで、いいじゃないか。
流れ星に願いを
あの空に想いを
この大地に信頼を
今日という日に祝福を
今を生きる君に感謝を
ありがとう