#存在意義
#たそがれ
#きっと明日も
この世界に
わたしが生きる意味はなんだろうと
子育てが終わり、夫は単身赴任
決まった時間に朝起きて
決まった時間に眠る
決まった時間に毎日同じワイドショーをみて
四角い画面で延々と繰り返される同じような出来事を
ただ淡々と眺めている
夕方に
昔のドラマの再放送を見るのだけが楽しみ
——そんなわたしの存在意義?
そんなわたしでも、ごはんを食べる
そんなわたしでも、服を着て、靴を履く
時々お出かけもするし、
時々はぜいたくをして
菓子パンを買うこともある
消費しているのだ。
ほんのわずかでも、経済を回しているのだ。
わたしが買った野菜やお米は、農家の人や、物流のひとたちの生活の糧になる。
わたしが買ったパンは、パン屋さんの家族の糧になる。
ただ生きているだけで息をして
吐いた二酸化炭素は植物の糧にもなる
ただ生きてるだけで、
ちゃんと存在意義があるのだ。
誰かの、役に立てているかもしれないのだ。
わたしにほんのちょっとだけ似た誰かさん。
あなたも、ちゃんと存在しているよ?
世の中の役に立っているよ。
だから堂々と生きればいい。
背筋を伸ばせばいい。
思いっきり息を吸って、吐けばいいんだ。
#大事にしたい
大事にしたいもの……
それはいつかの手紙だったり
切ない思い出だったり
たくさんあるけれど
そもそも大事って何なんだろう。
大きなことって書いて、大事。
自分の中で大きなことが大事ってこと?
なくすと大事(おおごと)になってしまうもの?
ああでも、
「これ大事だな」って思うものは
なくすとたいへん。
大事(おおごと)になってしまう。
だから「大事にするよ」って言うときは、
なくさないように、なくすとたいへんになってしまうから、大事にしてなくさないようにするよって事なのかもしれない。
そう考えると、いつかの手紙も切ない思い出も
なくすと困るもの。
なくさないように「大事にする」「大事にしたいもの」ってことなんだろうな。