“何かあったら直ぐに言ってね”
それが母親の口癖だった、母親は過保護気味だが優しく元気な良い母だと思う。ただ良く言えば優しい母、悪く言えば過保護な母だ。
しかし、その言葉を聞くたびに毎回思うことがある。『そんな簡単に言葉にできるわけない』と……。
そんなことも知らずに、母親は遠慮なく学校・勉学・人間関係のことについて探りを入れてくる。その度に『普通かな』『まぁまぁだよ』『問題ないよ』と、中身の無い空白の様な、どっち付かずの返答しかしていない。でも、母親は答えてくれたことに満足しているらしいので気にすることはないだろう。
こんな事をずっと続けるうちに、言葉にできないことが多くなってきた。別にそれでもいい、本当の私なんて私だけが知っていれば充分なのだから。
これからも、誰にも言葉にできない。
空白の自分を抱えて生きていけばいい。
_言葉にできない_
3、2、1………という掛け声と共に、パシャリという軽快な音が鳴る。その音の正体は、笑顔を浮かべている先生が構えるカメラのシャッター音だ。何度か撮り直した後、納得がいったのか先生は『OKです!』なんて意気揚々とカメラを下ろした。
学年ごとの集合写真が終わった瞬間、生徒達は騒めきだし各自友人と話したりなど好きなことをし始めた。本来ならば注意をする筈の先生は先生同士で話が盛り上がっている。
自分もこんな時は友人と話しているのだが、生憎友人は風邪で休んでいる。クソ……俺には友人がアイツしかいないのに、なんて心の中で文句を垂れる。少し居心地の悪さを感じ、俺は担任に保健室に行くと伝えて校庭を後にする。
幸運なことに保健室には生徒が誰もおらず、養護教諭の先生だけがいた。一応気分が悪いとありきたりな仮病の理由を使い、熱を測ることとなった。どうせ熱なんてある筈がない、だって仮病なのだから。なんて考えていると、ピピッ…と体温計の音が鳴った。自分の傍から抜いて体温を確認する。
目を疑ってしまった。平熱を示す筈の体温計には、37.8とデ
ジタル文字で記されていたのだ。それを見た養護教諭の先生
はすぐに俺の親に連絡を入れ、早退させる準備を始めた。
『もしかして、僕の風邪移ったかな?』
早退した次の日、堂々と俺の部屋に居座って小説を読むアイツは、寝転がっている俺に視線も向けずに聞いてきた。
『花冷えで風邪引いただけだから』
全然元気じゃないかという気持ちを飲み込んで、俺は窓から差し込む光に目を細めながら答えた。
すると微かに開かれた窓から一枚の桜の花弁が、アイツの読む小説に舞い落ちた。
春爛漫という言葉が似合うアイツを見て、身体中を襲う倦怠感が少し軽くなったことは俺だけの秘密だ。
_春爛漫_
他人とは解り合えないと、物心がついた時からずっと感じていた。否、もはや家族ですら自分とは解り合えない存在だと感じる。
精神年齢が合わないのだろうか、好みが合わないのだろうか、価値観が合わないのだろうか……。考えてところで無意味なことを、考えていた頃が懐かしい気もする。
自分は高校受験を控えると同時に、他人と解り合うことを諦めてしまった。そのせいか無論友人なんていないし、本音を明かせる人だっていない。
誰かと話したところで、無意識のうちに作ってしまう心の壁を壊せる人なんていないのだ。もはや、自分自身のことすら解らなくなってしまいそうになる。
どれだけ知識を得ようが、どれだけ他人と関わろうが……。
自分は、誰よりもずっと無知な存在に変わりはなさそうだ。
_誰よりも、ずっと_