子供の頃は大切なもの箱に
いろんなものがたくさん入ってた。
おかしいな。
いつの間にか大切なもの箱ごとなくなってしまった。
中に何が入ってたっけ。思い出せない。
捨てた記憶はないけど
でもこの間の大掃除でも出てこなかった。
今あるタンスの中の箱には役所に行って必要なものとか
そんなものの類いしか入ってない。
100均で買ったプラッチックの箱。
いや、これも大切なものだけど、これじゃなくて。
いいお菓子のカンの箱。ヨックモックだっけ?
フタを開けるとき、バカって外の空気が中に吸い寄せられる
重さを感じるあの薄長四角い、ほら。
あー、バカって開けたいな。中を見たいなー。
もっかい探してみようかな。
(大切なもの)
今日はエイプリルフールだよ。
嘘をついていい日だよね。
さて何を言おう、うーん。
─────
そして一日が終わる。
あ、エイプリルフール終わっちゃった~。
って毎年言ってる気がする。
そもそも嘘をついていい日の有用性が分からん。
(エイプリルフール)
誰かの作ってくれた料理は美味しい。
人の作った料理は匂いも美味しい。
作ってもらうと幸せを感じるのは何でだろうと思っていたが
なんとなく答えが分かった気がする。
人が作ると匂いが味が、意図せずくるからじゃないかな?
1月に母が体調を悪くして自分が料理を任されることになった。
自分で作るとどんな匂いがしても当たり前の匂いがする。
そりゃそうだ。その匂いの物を作ってるんだから。
食べたって当たり前の味がする。
そりゃそうだ。その味のする物を作ったんだから。
誰かの作ってくれた物は突然の出会いの味がする。
メニューを聞いてれば、待ちわびた人に会えた
匂いがしてくる、そして味がする…
っていうトキメキ的なものを感じるんではなかろうか。
母の体調がだいぶ回復してきてくれた。
もうじき母の作った幸せを感じる料理がまた食べられる。
そしてたまには母に、味は多分劣るけど
母にとってはトキメキを感じる料理を作ってあげようと思う。
(幸せに)
帰りの電車で珍しく座れて、ついうとうとしてしまった。
…ハッ、やべ!
気が付くと電車がホームに停まってて
既に人が乗り込んで来ている。
待って!降りる!降りる!
すいませーんと人波に逆らって何とかドアに向かうが
あと一歩間に合わず無情にも扉は閉まった。
ちょっと間があって動き始める電車。
あー、見慣れたホームが遠ざかっていくーくーくー…
扉の前で立ち尽くす。
降り損なった一連を目撃した方達の痛い視線を
何気ないふり出来るほどの肝は持ち合わせていない。
後ろが向けない。
次の駅到着までガラスに映る残念な自分の顔を凝視して
いたたまれない時間をやり過ごした。
(何気ないふり)
ハッピーがエンドレスとかハッピーターンなら嬉しいけど
現実のエンドはハッピーもラッキーもない
エンドがあるだけだと思う。
じゃ、どこにあるのか。
誰かの作った物語にあるんだと思う。
物語を作った人が、もうその先を書かないよと手放した時に
生まれるんじゃないかな、ハッピーエンド。
読み手への贈り物に、ハッピーなエンドをどうぞって。
(ハッピーエンド)