自慢じゃないが日記は夏休みの絵日記以外書いたことない。
ただ日記帳は持っていたりする。
親戚が買ったはいいが、結局何も書かなかった日記帳をくれたのだ。
分厚くて立派な表紙で鍵つき、お高そう。
別に日記じゃなくてもいいから、なんか適当に使ってと言われた。
小学生だった私。既に自分の三日坊主体質は心得てたので
日記を書く気はさらさらなかったが、落書き用にするにも気が引けて
そうだ、物語を書こうと思い至った。
朝、目が覚めたらカラスが人類を支配している星に転送されてて
つつかれながら生き延びるも、実は未来の地球だったという
驚くほど完全パクり話を練り上げた。
中の1ページ目に題を書く。タイトルは「カラスの星」。
タイトルのまわりに結構頑張って頭のよさげなカラス数羽と
どこかのデカイ大仏様らしきものが描かれている。
…以降白紙。まあ、そりゃそうだ。
日記書けないくせに、よくもハードルを上げたもんだ。
と言うわけで「閉ざされた日記帳」なら、いまだに本棚に眠っている。
(閉ざされた日記)
夕食中にテレビでクイズ番組をやっていた。
難読問題
「凩」の読みを答えなさいとの司会者の言葉に即
「あ、分かった!なぎ!!」と自信満々に答えて不正解。
ありゃ、ハハハ…
なぎは中が止まるだった。
木枯らしと凩。
日本語は簡単な漢字と難読漢字を用意してる言葉って結構あるけど
なんでだろ。ま、嫌いじゃないけどね、難読漢字。
間違えたけど…
(木枯らし)
うちのトイレの壁紙は
白地に青い絵。バラ3輪に葉の付いた茎がにょろっと曲がって
縦に横に連続している。
二色だけだがシンプルで美しい柄だと思う。
そう、ずっと思っていたのだが。
何かの折りに母にその話をすると
母にはずっと前からそのバラが顔に見えてならないと言う。
あっち向いたり、こっち向いたりしてる顔のうちの一つと
目が合ってしまうらしい。
まあ人間は三点あると顔に見えてしまうと言うから仕方ないけど…
私の「美しい」評価も、これでは形無しである。
美しいの共有は案外難しい。
(美しい)
小学校の中学年の頃、成績表の備考欄的なところに
「自分の世界を持っている」と書かれたことがある。
え、何それ。
今いるこの世界とは違う世界を私が持っている?
世界って住んでるところで持ち物ではないでしょ。
そもそもそれ、いいの?悪いの?
それを私の親に伝えてどうしたいの!
ホントに先生って生き物は苦手だよ。
…と当時は思った。
今思えば先生も特に書くこともなく、何考えてるか分からない児童に
困って、そんなことを書いて空欄を埋めてくれたんだろうなとは思う。
ただ、この成績表を見て面白がってくれた
我が両親には感謝している。
(この世界は)
ここ二、三回位だっけかな。
どうして急にお題が来てるので更新するようにと
促される制度になったんだろう。
私だけ?ま、こちらの環境のせいなのかもしれないし
別にその後はいつも通りだから構わないんだけど。
それよりどうして先に「今日の心模様」なるお題が
鎮座ましましているんだろう?
気になるわ。
(今日の心模様)
じゃなくて
(どうして)