よく漫画とかで主人公が、心の中で悪魔と天使がせめぎ合い
どちらかの勝利で意思決定する場面があったりする。
私の場合は、なまけ心とひねくれ心がいて
争いもせず、とっとと和解して決定するようだ。
おかしいな。確実にどこかで
少しは先のこと考えなくてはならないとか
このままではいけないとかって
聞こえてるんだけどね。
(心と心)
満員電車で屁がにおってくる。
「誰だ!屁をこいたのは」とか
「私オナラしました」なんてことにはならない。
した人も嗅がされる人も、何でもないフリをする。
オナラは見えないので、これで平穏が保たれる。
もしある日突然オナラが見えるようになったら
どうなるだろう。
オナラした人が分かる。
オナラが鼻に入ってくるのが見える。
した人も嗅がされる人も、何でもないフリを出来るだろうか。
いや、つくづく見えなくてよかった。
何でもないフリは誠にありがたいことだ。
(何でもないフリ)
旅行で泊まった旅館の翌朝の朝食バイキングには
驚くレベルのお仲間がたまに存在する。
食事の内容がほぼ一致しているのだ。
ただバイキングで会うお仲間はイコール敵である。
同じものを欲するから、微妙に待ったり待たせたり。
かぶる度にお互いうんざりする。
空カップ3つ持ってって
コーンスープをカップ三杯もっていくぜ、へへっ
クルトンましまし~ですら、かぶったこともある。
またお前かって顔をされる。恐らく私もしてるのだろう。
自分がラストを取った時の気まずさったらない。
ここが出会いでなければ何か運命すら感じそうなものである。
ただ、煮えたぎったコーヒーにシリアル用の牛乳を半分入れる
カフェオレ仲間にだけはまだ会ったことないな。
この時だけはホッと出来るひとときだ。
(仲間)
小学生の頃、よく先生が隣の人と手を繋いでと
無責任な命令を出してくることがあった。
小2か3だったかな。私のこと嫌ってる子が
私と手を繋ぐのをヤダヤダ言って
しまいに泣き出したことがあった。
ただ対処法を知っていた私は筆箱から鉛筆を取り出し
お互いに鉛筆の端通しを持って、手を繋いだことにしてもらった。
先生って生き物には、わりと早くから困っていたな。
「そんなひどいこと言わないの!」とか
「何でそんなに嫌なのか言ってごらんなさい」とか。
いや、ひどいのはあんただから。
まわりの人間も調子に乗って、嫌な理由並べ立てるから。
そうそう、この対処法は手のひらが鉛筆の芯で黒くなるんだよな。
削ってある方を持たせるわけにはいかないからね。
今思えば、嫌いな人間の鉛筆を持つこと自体を
拒否られなくて助かったなとは思う。
(手を繋いで)
今日、父方の墓参りに行きました。
超渋滞に巻き込まれ、やっとこさ帰ってこれました。
墓参り帰りにいつも寄ってたラーメン店。
代替わりして人気のなくなったラーメン店がつぶれてました。
今までありがとう、行かなくなってごめんなさい。
そしてお疲れ様でした。