思い返してみると、彼といた時間はとても短かった。
僕は、彼のことが好きだった。
彼は刹那な人だった。
考えすぎて不安になる僕とは正反対で、今を大事にしていて、憧れていた。だんだんとその憧れは好意へと変わっていき、僕は彼に恋をした。
彼は男で、僕も男だ。
告白をしても彼が良い返事をくれる確率は低いだろう。
それでも、彼を嫌いになることはできなかった。
どんな関係でも、そばにいたいと思っていた。
彼と初めて出会ったのは職場。
両親の都合で行かされている憎たらしいあの会社で。
僕は、初めて両親と会社に感謝した。
行かないと下の弟たちが生きていけない。
高校まで行かせてもらえていたのが唯一の救いだ。
だが、子2人養うというのはとても大変なことだ。
いつも通り重い足取りで会社に向かっていたその日。
僕は、彼と出会った。
彼は本社の方から派遣されてきたらしい。
僕は職場の人が嫌いだ。
年のせいなのか、貧乏な故の見た目のせいなのか。
真意は確かではないが、そんな表面上で人を判断し、僕のことを無視したり、そんな奴らが嫌いだ。
どうせこいつも同じだ。
関係ない、さっさと仕事を始めようと席に向かう。
すると突然、
「佐々木さん、今日からよろしくお願いします!」
という大きな声が後ろから聞こえた。
声をかけてきた人物は、さっき派遣社員として紹介されていた男だった。
というか?なんで急に僕に声をかけてきたんだ?
これまで派遣されてくる奴はいたけど、話しかけてくる奴は初めてだ。
そのことについて聞こうと思った矢先、
「佐々木、漁さんですよね?って言うか、
なんでさっきから他の人と喋らないんですか?」
とよくわからない質問をしてきた。
来てそうそうなんだと思ったが、愚痴を言える相手ができたと思うことにした。そして、
わざと聞こえるような大きい声で言ってやった。
「みんな僕のこと無視するからな」
彼は、思っていたのと違う反応をした。
「そうなんですか?佐々木さん、かっこいいのに。」
僕は困惑した。今なんて言った?かっこいい?今までの僕の人生とかけ離れた言葉堂々のNo. 1だ。
というか、かっこいいってどう言う意味だ。
だいたいお前も綺麗な顔立ちをしているだろうが。
今まで僕に見向きもしなかったあの女子社員たちの熱い視線がお前には分からないのか!!
「どうかしましたか?」
とそいつに声をかけられて我に返る。
今考えるべきはこれではない。
なんでこいつが僕に声をかけてきたかだ。
「なんかぼくに用か?」
「え?佐々木さんって、僕の教育担当ですよね?」
間髪入れずに答えが返ってくる。
ん?待てよ?教育担当?
今日、初めて聞いたんだが?
上司や同僚に文句を言おうかと思ったが、どうせ無視されるだけで何も変わらない。
諦めて、なんとかこいつを教育する方に目を向けよう。
教育っていっても、何をしていいんだか、、、、、
それから数ヶ月。
結局初日聞けなかった名前は、福井秋。
それから福井とは、一緒に仕事をするようになった。
なんとかそいつを教育して、今に至る。
今思えば、こいつが僕に回されてきた訳もわかる。
相手が上層部だろうが取引先だろうが、自分がおかしいと思ったことはとことん問い詰め、解決しないと気が済まない。本当に困った奴だ、、、
何度僕が頭を下げたことか、、、、、、、
でも、意外とらしくなってきた。
もしかして僕、こんな才能が?教師にでもなったほうがよかっただろうか。まぁ、そんな金はないし今更だ。
それにしても、やけにこいつが僕に懐いてくる。
他の奴らの言うことは聞かないのに、何故か僕の言うことは聞く。
本当に問題児だ。
まぁ、言うことを聞くだけマシか。
それから僕たちは長い間仕事を共に過ごし、お互い
「漁さん」、「秋ちゃん」と呼ぶ仲になった。
僕の中でいつの間にか、秋ちゃんが、とても大切な存在になっていた。
そして、彼が女性社員たちと楽しそうに話すのを見ると、胸が痛むようになった。
そんな自分に戸惑いながらも、
秋ちゃんと過ごす日々は楽しかった。
多分、僕は秋ちゃんのことが好きだったんだと思う。
眩しい笑顔や、一見真面目だけどふざけた内面とか、優しく明るい声とか、秋ちゃんの、全部が好きだった。
でも、終わるのは急だった。
それは、秋ちゃんと出会って2年経った秋。
僕はすっかり、会社に行くのが楽しみになっていた。
いつも通り会社に向かう。
あまりにも当たり前になった日常が、僕に錯覚を起こしていたのかもしれない。
僕が幸せになれるはずなんて、なかったのに。
会社に行くと、いつも僕よりも先に来て、明るく迎えてくれる秋ちゃんが、今日はいなかった。
僕は、不安に駆られる。まさか。
いや、そんなことない、あるはずない。
冷静になって、L○NEを送ってみることにした。
結局、朝会の時間になってもあきちゃんは来なかった。
真っ先に秋ちゃんについて聞かれたのは僕だ。
当時の教育係を引き継いで、僕は秋ちゃんの上司になっていた。
秋ちゃんは、僕と違って同僚たちとは仲が良いほうだった。ただ、最初の頃に起こした無礼のせいで、上層部からは嫌われていた。
「おい佐々木!!福井はどうした!!!」
いつにも増して大きな上司の声に
痛めながら、
「僕は何も知りません。一応L○NEは送りましたが、まだ返信は、、、既読すらつきません。」
「上司であるお前の管理不足じゃないのか!!!」
「すみません、、、、」
それしか言えなかった。
あいつのことを庇いたい気持ちもあったが、僕には権利など何も無い。
むしろ秋ちゃんの方が、同僚からの信頼があるだろう。
同僚の秋ちゃんを心配する声と、僕を悪く言う声、クスクスと僕を笑う声。
その日は、本当に地獄みたいだった。
一向に秋ちゃんからの連絡は来ないし、ますます心細くなった。いつもの楽しみがなくなった僕は、抜け殻のようになってしまっていた。
幸い、僕のことを心配し、
声をかけてくるうざったらしい人はいなかっ
た。
次の日は休んだ。
妙な胸騒ぎがして、昨日から秋ちゃんの家に来ていた。
怒鳴られた。
今日も秋ちゃんは無断欠席をしているらしい。
僕は、疲れていたのか秋ちゃんの家に着いたところで、車の中で眠ってしまっていた。
慌てて会社に電話して今に至る。
こんな時にも会社に連絡をする自分に、呆れた。
つくづく社畜だなと思う。
思い返してみると、こんなに身勝手に会社を休んだり、人のために動いたりするのは初めてだった。
自分を縛っていた何かが緩くなった気がした。
急いで秋ちゃんの家に向かう。
インターホンを押しても当然反応はない。
もしかしてここじゃ無いかと思ったが、
きっとここで合っているはず。
こんな時、合鍵を持っていて良かったと本当に思う。
急いで家に入る。
念の為、
内側から鍵をかけて彼の寝室を兼ねた自室へ向かう。
部屋の扉を開けると、あの時と同じ光景が広がっていた
僕の弟は、1年前に死んだ。
殺された、の方が正しいのかもしれない。
その日、僕は具合が悪く
休憩室で仮眠をとって、念の為早退した。
家に帰ると、異臭がした。
鼻につく、吐き気を催す不快な血の匂いだ。
嫌な予感がした。
急いで部屋に入ると、そこには1番下の弟が変わり果てた姿で横たわっていた。
僕は呆然とそこに立ち尽くした。
長い間、弟の死を受け入れることができなかった。
金がないのはしょうがないが、立派な葬儀をあげられないことがとても申し訳なく思えた。
ただ、辛いことは1つでは終わらなかった。
上の弟はこの事件で心を閉ざしてしまった。
持病の発作も起こりやすくなった。
それに、何故かその日から、上の弟が僕のことを怯えた目で見つめるようになった。
ただ怯えるというだけじゃなくて、どこか、恐ろしい犯罪者を見るような、冷たい目だった。
徐々に避けられるようになって、顔を合わせることもほとんどなくなった。
そんな時、そばにいてくれたのも秋ちゃんだった。
いつも通りの明るさで。
でも、決して辛いと感じさせない。
不思議な心地よさで、僕のことを慰めてくれた。
そんな秋ちゃんが、今、
目の前であの時と同じように横たわっている。
その顔は、恐怖で歪んでいた。
僕は、もう、どうしたらいいのか分からなかった。
でも、そんなひどい姿でさえ、僕には綺麗に見えてしまった。僕はゆっくりと彼に近づく。
「秋ちゃん。みんな心配してたよ。
だから、だからさ、いつもみたく笑ってよ、、、、」
僕はそっと、彼の頬に触れる。
まだ、微かに、彼の温もりが残っていた。
僕は、彼にキスをした。
乾き始めた血が、生に縋るように纏わりついた。
あーあ、、、、、、
俺、流石に性格悪かったかなぁ。
実の弟にこんな仕打ちは流石に可哀想だったか?
でも、どれも漁を想ってのことだったのに。
1番下の弟の時。
あの時は、下の弟が中学に入って、上の弟の持病が悪化して。
ますます、漁は働かなくちゃいけなくなっていた。
漁が楽になればって思ったのに。
お葬式まで考えて無かったや。
今回は、叶わないかもしれないのに、もう絶望はして欲しくないのに、恋をさせたお前が悪い。
これで少しは漁が楽になればいいけど、、、、
小さな頃から優秀で、頑張り屋な漁が、俺は好きだった。
いつも明るく「狩!」と名前を呼んでくれるのが嬉しかった。
もう、俺のことは忘れてしまっただろう。
でも、両親が離婚して、
漁は母の方。
俺は父の方へ行くことになってしまった。
でも、漁の役に立ちたいと思って勉強するのは苦じゃ無かった。
むしろ、漁への思いで、刹那にも思えた。
まぁ、漁に見た目が似てることで上の弟にトラウマを植え付けちゃったのは、流石に漁が可哀想だったけど。
、、、、、、、
これからどうしよう。
もう、守りたいものは何も無くなった。
秋ちゃんとの日々を思い出した。
あの時は長い長い楽しい日々で、
これからも永く続いていくものかと思っていたのに。
こうしてみると、刹那に思える。
もっといろんな思い出作りたかったな。
「狩、、、、ごめんね。僕があんなこと言ったから。」
「!!」
もしかして、俺のことがバレて、、、、?
確かに、俺は、漁が
「狩とお別れやだな。悲しいのはやだ。」
「大丈夫だよ。俺がすぐ戻ってきて、漁を守るから」
それから俺は、漁のために生きるって決めたんだ。
「ありがとう。お兄ちゃん。」
掠れた声で漁が言う。
「漁、、、、」
初めて、漁との時間が、
刹那でなく、永遠に感じられた。