『麦わら帽子』
ひまわり畑でキラキラとした瞳で、「きれいだよ!ぱぱ!」と必死に感情を伝えてくれる娘が、とにかく愛おしかった。
定期的に水分補給をさせて、暑いから麦わら帽子をかぶせる。
ひまわり畑で迷子にならないように、しっかりと手を握るが、娘は振り解いてあっち行きたい!こっち行きたい!とわがままを言う。
でも、そんな娘も可愛くて、愛おしくて。
娘に毎年被せる夏の麦わら帽子は、愛する嫁の麦わら帽子のサイズにじんわりと近づいていく。
嫁ですら小さくて守りたいと父性を抱くのに、娘はそれはもう、何十倍も小さくて、守らなくてはと、常々思う。
一瞬、大きな風が娘と俺を仰ぐ。
娘の麦わら帽子がふんわりと飛んだ。
「ぱぱあ」
取って。と言わんばかりな表情で、パパと呼ばれる。
ああ、なんでこんなにも愛おしいんだろうか。
去年までは愛する嫁も隣にいて、ごくごく普通の幸せな家庭だったのが、こんな、たった数ヶ月で一変するなんて。
いくらつらいなと噛み締めたとて、嫁は帰ってこないのだ。いくら未来を見ても、過去を見ても。ずっとずっと、心のどこかに、嫁はいるのに、隣にはいなくて、だからといって、嫁がもういないようには感じなかった。
それは、娘がかなり嫁に似ているからだった。
楽しいと笑う嫁の表情と娘はそれはもう、瓜二つと言ってもいいくらい。右側にだけあるエクボがとてもかわいいのだ。
眠たいと甘えてくるところも、怒って、もう!と言うところも、どこもかしこも、嫁に似ていて、常々切ない気持ちで苦しくなるのに、幸せを感じてしまう。
ああ、まだ隣にいてくれてるんだろうな。と。
俺は娘に、はいはい。と、肩車をして、背の高いひまわりの上に着地した麦わら帽子を、ほら、とれる?とひと声かけ、娘もそれに、とれるー!と応じてくれた。
ひまわりの花言葉は、私はあなただけを見つめる。だ。
嫁は花言葉をわかっていて、初デートにひまわり畑を選んだのだろうか。そんなのは、もう嫁に聞くしかないのに、聞くことができないのが惜しい。
娘を下ろして、麦わら帽子を軽くつけ、顎の下にリボンを作って、落ちないように結ぶ。
嫁にも良くやってたなぁなんて、思い出す。
気づけば俺はいつも嫁。嫁。嫁。なんだ。
「ぱぱ、ままのお帽子、いいの?」
リュックにくくりつけた、去年まで嫁がつけていた麦わら帽子をきっと娘は指しているのであろう。
「ママも、一緒に今ひまわりを見てるんだよ。ママに、ひまわり綺麗だねって、言おうな。」
「ままぁ、ひまわり、きれいだよー!」
近くにいる人たちがみな、振り返るほどの声量でいきなり叫ぶ娘。ここで俺は、わかってしまったんだ。なんて愚かなことをしているんだ。と。
俺が嫁の死について受け入れられていないのに、やっと4歳になった娘が、理解できるわけないだろう。
ママはお空で見守ってくれてるんだよ。と言いすぎたのかもしれない。いや、かもしれないじゃない。言いすぎたのだ。
なんて、ひどい父親なんだろう。
ほんと、俺って、ダメだな。
「ままに、なりたい。わたしがままだったら、ぱぱは、元気になってくれる?わたしがままになったら、ぱぱはもうひとりでなかなくてすむ?」
ぎゅっと娘を抱きしめて、俺は声を殺して泣いた。
「パパは、ひまわりがいれば、元気だよ。ひまわりさえいれば、ママも一緒にいるよ。」
「ぱぱぁ」
まだ幼い娘。大きな責任を、いつの間にか抱えさせていたのかもしれない。申し訳ない気持ちになる。
娘の名前はひまわり。花言葉のもう一つは、憧れ。
『私よりもたくさん愛されるんだよ』と、愛されキャラの嫁が一番初めに娘にプレゼントしたものだ。
「ひまわり。パパが弱くてごめんな。」
麦わら帽子。それは優雅さと社会的地位の高い人が被るものだったりする。
家族3人の麦わら帽子の写真はもう2度と撮ることはない。撮れることはないだろう。
また風が娘と俺を仰いだ。
その風は先ほどと違う、寄り添うような穏やかな風だった。
「あっ」
『麦わら帽子』