子供のままで
大人になっても子供のような人がいる。大人は服装から違う。大人は働いているので服装にお金を使う。話し方も敬語を使い分け落ち着いて話す。1日の使い方も無駄のないように心掛けている。社会性があるのでハメを外すこともない。お金の無い人は服装がみすぼらしい。食べて行くのが精一杯だ。少しのお金が残れば趣味に費やす。それでもお金を稼ぐためにスキルアップには関心がある。大人になりたいと思うが、仕事はそう簡単には見つからない。それに比べると子供は良い。大人になるために栄養を取り、学校で勉強をする。親からは愛情をそそがれ、情操も豊かになっていく。そんな社会を想い描いて私も育ってきた。しかし、現代の社会は私の想い描いたものとは違う。大人になりたいと思っても、そう簡単には大人にはなれない。大人になれなくて子供のままの人が多い。やはり、お金を稼げない人は子供を続けるしかないと思うのかもしれない。私の想い描いた世界と現実が違うとき、人は2つの世界を結びつけようとする。物事の概念も変わってくる。これを革命と読んで良いのならば、マイ・レボリューション。
愛を叫ぶ。
世の中には、愛を求めても得られない人がいる。人間の愛は自己中心的で、自分のためにならない人を愛することはない。愛されない人はどうするのだろうか?愛されるように努力するしかないのか?自分を犠牲にして献身的に生きることが要求される。しかし時にそれは単に相手に利用されているに過ぎないこともある。利用されるからにはそこには目的があるはずだ。その目的がなんであるのかを見極めないと、せっかくの愛も他の人からは変な目で見られることもある。小さな愛は大きな愛には敵わないと思う。
モンシロチョウ
わが家の庭にもモンシロチョウがくるようになった。夏が近づいできた。実に清楚で美しい。弱々しいところがまたよいのであろう。思わず息を押しこらえて見とれてしまう。世の中は残酷なものなのでモンシロチョウはさぞ苦労していると推測するのはたやすい。根性、根性で流行ったスポ根ドラマ。スポーツは根性とばかりに頑張ったのは私だけではないと思う。しかし思えば、私のようなきゃしゃな身体の持ち主は、身体を壊したものだ。やはりスポーツも科学なんだとへんに納得したものだった。今は、経済環境も悪く、努力だけではうまく行かないのは周知のこと。この残酷な世の中を生きるためには何が必要なのかと考える。やはり人に好かれるにはどうしたらよいかと言うことに尽きるような気がする。
忘れられない、いつまでも。
過去の苦しみと悲しみは忘れられない。でもこれからのことを考えると、明るく、楽しく生きたいと思う。過ぎたことに意味があるとしたら、あれで罪滅しをしたのかな?と思う。これからはどのように生きていこう。呼吸は吐いてから吸う。ジャンプは縮んでから飛ぶ。日々の暮らしは休んでから動く。これからの人生も楽しいことばかりではないと思うが、幸せになる仕組みが少し分かってきたような気がする。人生には波がある。この波をどのようなものにするかは、その人の自由に任されている。そしてその結果がその人を美しい姿に創り変えていく。
一年後
一年後をみすえて、今のうちに種をまいておこう。まずは土壌を選ばなくてはならない。やはり有機肥料が良いと思う。腐葉土も有機肥料だ。化学肥料は土地をやせさせると言う。種には大いに頑張ってもらわなくてはならない。太陽も応援している。すくすくと伸びて一年後には立派な姿を現してもらいたい。