※死ネタ ※謎時空 ※捏造注意
糸師 冴が死んだ。
報せを受けて文字通り飛んで帰ったら、泣き腫らして目の赤い両親に看取られて布団に寝かされた兄の体があった。奇麗な寝顔に、実は生きているのではないかと錯覚を起こさせる。しかし、蝋人形を思わせる生気のなさが唯一兄の魂はここには無いのだと無情にも告げていた。兄を見て固まる凛に父が経緯を教えてくれた。
「……は?子ども?」
なんと、サッカーボールを追いかけて車道に飛び出した子どもを助けた代わりに車に轢かれたというのだ。あの、誰よりも傲慢で、サッカー意外無関心な糸師冴が、見ず知らずの子どもを助けた。
–––––弟(自分)のことを見てくれない兄が、他人の子どもは見るのかよ。
どこまで兄は弟(俺)のことを馬鹿にすれば気が済むのか。無性に腸が煮えくり返る思いになり、衝動のままに近くにあったお香の灰を手掴みすると、それをあろうことか兄に向けてぶち撒けた。
「凛!!?」
「凛ちゃん?!??」
気が触れたような凶行に驚く両親を尻目に、凛は次の衝動に身を任せて辺りを見渡した。それにすぐさま父が察して、弟の愚行を咎める為にバシンッ!頬を打った。反動で倒れる凛に母が駆け寄って力いっぱい抱きしめた。
「落ち着きなさい、凛。冴は決してあなたを蔑ろにしていたわけじゃないわ」
「何も知らないくせに、兄貴(あいつ)の……おれの何がわかる?!!」
拘束から抜け出そうとする凛だが、どういうわけか母の腕は解けなかった。それなりに歳はとっているし、体だって鍛えて大きいのに。
「りん…凛、ごめんなさい。中学生だったあなたがあの日、辛そうな顔で帰って来た日に何があったのかお母さん聞いていたのよ–––––冴からね」
母からの告白に不意を突かれた凛は目を見開いた。何も語らない、語ってくれない兄が、まさか親に兄弟が袂を分かったことをわざわざ報告するとは思えなかったからだ。しかし、ウソだとしてもその衝撃は凄まじく、諦めず抵抗を続けていた凛はすっかり毒気を抜かれていた。
それに気付いた母はゆっくり肩から力を抜くと、旦那に似た指通りのいい髪を懐かしむように撫ぜる。
–––––はて、最後に息子たちを撫でたのはいつだったか。
いつの間にか親を置いて大きくなって、巣立っていった我が子たち。弟は高校生になったと思ったら、長い間家を空けて同世代の子たちと研磨し合って。兄に至ってはまだ義務教育も終わっていないぐらいから家を出て、世界へと羽ばたいていってしまった。
後悔するにはもう遅いが、もっとあの子を撫でてあげれば良かった。あの子は照れ屋だから撫でると嫌そうに顔を歪めるけど、その後隠れて一人嬉しそうにしてるのを母は知っているのだ。代わりではないけどせめて現在(いま)、あの子にしてあげれなかったことを凛に。
ゆっくり、優しく……凛の形の良い頭の輪郭にそって愛しさを込めるように。じん、と目頭が熱くなる。
そうして脳裏にはスペインに戻って行った冴が珍しく、しかも気後れするのか随分かたい声音で電話をかけてきた日を思い出していた。
《……凛、どうしてる》
「凛が部屋にこもってしばらく出てこなかった時よ。スペインに戻った冴が珍しく電話をかけてきたと思ったら、真っ先に弟(あなた)のこと聞いてきたのよ」
気にしていたと聞いてびくり、腕の中で凛が反応する。幸い、暴れる様子はないのでこのまま思い出話を続けても構わないだろう。
本当は冴に口止めされていたけど、ここで話さなければ一生凛は兄を恨んだままになりそうだ。冴はそれでも良いと言うかもしれないが、直接お別れ出来るのは今しかないのだ。余計なお世話だと怒られてしまうだろうけど、親心としてそれはとても哀しいから。
途中
《俺の後を追いかけてるようじゃ世界一は無理だ。だから突き放した。ここで折れるようなら俺は本当に凛と決別する》
《世界は広い。俺では世界一のストライカーは狙えない。でも……あいつなら、きっと》
「」
《……御託を並べてみても所詮、夢を諦めた敗者の言い分だ。悪い母さん、今のは忘れて欲しい。》
凛にとって「天国」とは、幼い頃に約束した世界一のストライカーになった兄の側で一緒にプレーをすることである。
その為なら凛はどんなに苦しい練習にでも耐えられた。兄みたいに涼しい顔して90分を走り切れるように、胃の中をぶちまけてしまう程の走り込み。兄みたいにボールを意のままに操れるように精密な足さばきが行える筋力アップ。兄みたいに点を取るために狙った場所にボールを打ち込むシュート練習。エトセトラ…。
しかし、その約束もスペインへ渡った兄が一方的に夢を書き換えたことによって二度と叶えられることが無くなった。
⸺⸺それは、凛の描く「天国」の消滅。
愛憎渦巻く「地獄」の始まり。
⸺⸺糸師 冴はおれが殺す。