友達からのLINE。
当たり前のように軽い気持ちで返す。
友達へのLINE。
これも当たり前のように軽い気持ちで送る。
あなたからのLINE。
わざと通知を無視する。
あなたへのLINE。
なぜか一言送るのに20分近く考えてしまう。
どうして相手が違うだけで、
こんなにも変わってしまうのか。
どんなに熟考した文章でも、
あなたは当たり前のように
軽い気持ちで返してくるのに……。
/1件のLINE
「毎朝目が覚めると、自分と年齢は同じだが全く別の人の体になっている」
という小説がある。
フィクション作品だけど、少し憧れてしまう。
同い年のあの子は、先生の授業を受けている。
一日だけでもいいから、あの子として目を覚ましたい。
また先生の授業を受けたいよ……
/目が覚めると
社会の"当たり前"が自分の当たり前。
だから、自分の気持ちを素直に打ち明けることが出来ない。
性別とか年齢とか関係ない。
あなたは教師で、私はただの生徒。
あなたは既婚者で、私は未成年。
私の想いが届くことはない。
少し苦しいけど、"当たり前"に抗うつもりもない。
だから、ただの生徒のままでいる。
/私の当たり前
昼間の活気も好きだけど、
夜はもっと好き。
家々に灯りがついていて、
それぞれに生活があるんだなあって。
/街の明かり
昔は毎年ウキウキしていたイベントも、成長してからは、「あ、今日って七夕なんだ。」という感覚。
保育園の頃は、不器用なひらがなで書かれた短冊を飾った竹が燃やされる様子を興味深く、でもフシギに思いながら眺めてた。
小学校低学年の頃は、「お金持ちになりたいとかは書いちゃダメなんだっけ?逆にどこまでなら書いていいの??」って戸惑ってた。
中学年の頃は、世界平和とか願ったなあ。
高学年の頃は、短冊を書くことはなくなったけど、塾の帰り道に夜空を見上げて、「あれが、こと座のベガで、あれが、わし座のアルタイル!」と理科の復習がてら星の名前を唱えながら空を指差してた。
でも、中学生の頃からは何もしていない。
気付いたらその季節になっていて、願い事は密かに心のなかで思うだけ。
年を重ねるごとに、日本の伝統文化から離れていってしまっている自分が少し悲しい。
/七夕