人生を旅に例える人がいるけれど、それなら死はきっと終着点なのだと思う。
旅の終わりは寂しさと、達成感によく似た眠気がやってくる。そしてそれから何度でも、旅の思い出を振り返ることができる。
懐かしんだり、後悔したり、それも含めて愛しく思ったり、そうして新たな視点に気づいたり。
この旅の終わりにあるものが、そんな穏やかな時間だといいと、何も知らない今の私は思っている。
これを読んでくれた人が、たくさんの素敵な思い出を作れますように。
気持ちというのは実体を伴わないものではあるけれど、良くも悪くも現実に多くの影響を与えていると思う。言葉にならずとも、形にならずとも、確かにそこに存在して、見て見ぬ振りをされることに耐えている。
そんな中から少しでも多くのそれに気づいてやることができたら、きっと誰かに安心や愛情として届いていくのだろう。素直に生きることだけが、誰かと通じることだから。
これを読んでくれた人が、少しでも心地よく息をできますように。
優しさだけで生きていけたらいいなと、思わない日はない。しかし人間ご飯は食べなきゃいけないし、呼吸もしないといけないから、きっと死ぬまで無理な話だろう。
人は優しさでできているのかな、奪ったものでできているのかな。今晩食べたカレーはおいしくて、とても優しい味がした。
これを読んでくれた人が、明日も1人分、生きていけますように。
ミッドナイトと聞くと、昔よく聴いた曲を思い出す。きっと普段使うことのない言葉だから、そういったものが最初に出てくるのだろう。
音楽やアートなどにとっておきたい情景を書き出すと、不思議と普段使わない言葉が紛れ込む。あの曲を作った人も、そのままの自分が話さない、けれど確かに存在した景色を歌いたかったのかな。そうだといいなとなんとなく思う。
これを読んでくれた人が、いつでも穏やかな夜を過ごせますように。おやすみなさい。
安心と不安はすごく近くにあって、過去のものも今の気持ちも簡単にひっくり返る。
朝の布団の中は暖かくて、足の先が出ただけで冷たい世界へ放り出されるようだけど、なんとか着替えて家から出てみると、いままで冷たかったひとりの部屋も、私のための暖かい世界だったと気づいたりする。
そして1日の終わり、布団の中から顔を出して眺める窓の外の景色は、それはそれで私のためだけにあるような気がしてしまうから、すべての気持ちはやっぱり簡単にひっくり返る。