2025/2/24 「一輪の花」
一輪の花のように強くありたい。
と思うけど、本音は少し違う。
自覚したのは中学1年生の頃。
休み時間はいつも一緒に行動してリーダーの意見に従わないとハブられる。
トイレに行くのも一緒。
会話の内容はあたりさわりの無い雑談や噂話、いわゆる「女子トーク」が中心。
なぜか複数の女子との共感ベースでテンション高めの会話は疲れるし、毎日毎日同じ人と一緒にいると飽きてくる。
もっといろんな人と関わりたいのに、他のグループに少し入ると裏切り者扱いされる。
常にメンバーの様子をうかがって、自分の本音を隠して「そうだね〜」と上部だけ共感すると虚しくなってくる。
人と関わることは好きだがずっと一緒にいると疲れるので、一人で静かに過ごしたい時だってある。
無理に人に合わせてまで、女子特有のグループに所属したくなかった。
お昼ご飯は1週間に一回、気の合う友達と2人で食べて、移動教室はできれば一緒に行けたら良いな。
予定が合えば、たまに一緒に帰ったりできれば良いかな。
そんな我儘を言っていると、中高時代はぼっちが確定した。
大学時代は毎日一緒にお弁当を食べることを拒否したために一度ハブられたが、
その後は1週間に一回お昼ご飯を食べ、3ヶ月に1回遊ぶ友達ができた。
これは後から知ったことだが、私と同じように、ずっと同じ人と一緒にいるのは窮屈に感じていたらしい。
卒業して社会人になった今でも、家に招かれるくらい仲が良い。
外敵から身を守る防衛本能だけの繋がりではなく、心から一緒にいたいと思っている親友だ。
招かれるペースは、やはり3ヶ月に1回。
同じ種類の花同士で固まって咲くには適性が無かったため、これからも基本的には一輪の花のように強くならざるを得ないのだと思う。
ただ、時には一輪の花同士、助け合って生きていきたい。
2025/2/23 「魔法」
大学合唱団にいた頃、学生指揮者になりたかった。
学生指揮者になれば指揮法レッスンの費用は団費からの支出でまかなってくれるため、ほとんど無料で指揮を学べるからだ。
お金をかけずに新しいことを始めるには絶好の機会だと思った。
しかし、指揮者はその団の顔となる存在。
他大学から参加していた私は指揮者にはなれなかった。
せっかく合唱をやっているのだから合唱の技術を身につけたいな。
大学4年生でパートリーダーになった。
毎年夏休みに、県の合唱連盟が主催している指揮法セミナーがある。
「学生指揮者だけでなく誰でも参加可能。パートリーダーでも参加を推奨します」
これは参加するしかないっ!
4年の夏、指揮法セミナーに参加することに決めた。
指揮のやり方はもちろん教えてもらえたが、楽曲分析や指導法のレクチャーもあり有意義だった。
その中でも、私の価値観が変わるきっかけになったレクチャーがある。
「今回初めて参加された方は、指揮法はまだあんまり分からないしと思っているんじゃないでしょうか。
指揮法の技術がほとんど無くて、さあ今すぐ曲を振って下さいと言われたらどうすれば良いと思う?
自分がやりたい音楽をイメージするんだよ。
イメージすれば、勝手に身体が動くから」
そんな魔法みたいなことあるか!?と思って、テキストを読む。
『人間は(反射運動などは別として)心の動きによって身体が反応する生命体です。
野球のピッチャーに「インコース、高めの、ストレート」という意思が働いてこそ、そのようなボールを投げることができるわけであり、何となく投げた目的のないボールは生きたボールとはなりません。
音楽ではそれらを“テンポ、ダイナミクス、ニュアンス”等に置き換えられると思われますが、さらに、これらの心の動きの元となるのは“その音楽に対するイメージ”であることを忘れないようにしたいものです』
自分がどうしたいか、どうありたいのかを具体的に強くイメージすれば、人生何でもできるのかもしれない。
周りからの否定的な言葉によって不安になりイメージが崩れてしまうことに悩んでいるが、
それらを跳ね除けるもしくは取り入れて微調整しつつ、強い意思を持ってイメージし続けると、
魔法はきっとかかるはず。
2025/2/22 「君と見た虹」
虹を見て、文章にできるほどの心動かされた経験は無い。
あー綺麗だなぁ。以上。
最近のお題は「君と見た虹」とか「ひそかな想い」とか、恋愛ストーリーに繋げようとさせるような意図があるように思える。
みんなの作品も恋愛ものが多くて、恋愛できていない事実を突きつけられたように感じて気持ちが沈む。
でも、いつか大切な人と虹を見て、その時の感動を分かち合えたら良いな。
【後で書きます…!一旦保存】
2025/2/21 「夜空を駆ける」
2025/2/20 「ひそかな想い」
中学3年生の頃にソードアート・オンラインに影響されてから、「キリトみたいな面倒見の良い妹想いのお兄ちゃんが欲しい」とひそかに想い続けている。
もう生まれてしまったので叶わないが、お兄ちゃんみたいな人は今までに3人いた。
全員に共通するのは、相手を見ているところだ。
私という人間を理解したうえで言葉を発してくれる、配慮の塊。
言葉で言わなくても、私の性格を丸ごと理解してくれているかのような安心感がある。
それから、安全基地になってくれるところ。
いざという時に頼れて心の拠り所になり、頼った後はもう一度やってみようと勇気が出る。
自分の可能性を最大限に信じてくれて「きっとできるよ」と背中を押してくれる。
この人がいるから頑張れると思える存在。
自分自身と相手を信じることができ、相手からも自分のことを信じてくれていると実感できる。
そうして初めて、安心して努力できる基盤が整う。
勉強も仕事も上手くいかないのは、
自分を信じられなかったり、
人間不信に陥っていたり、
誰も自分の可能性を信じてくれないと思っている時ではないだろうか。
私にもお兄ちゃんが欲しかったなと、今日もひそかに想う。