本日のお題:秋恋
久しぶりに書いてみようと思ったのは、今日の『秋恋』というお題に、ちょっとそそられたから。
中国の古典では『秋に必要がなくなる扇』とか、日本の古典では『秋に飽きる』と言葉遊びにかけて、『秋の恋とはすなわち、恋の別れを意味する』『秋は別れの季節』という言葉なんだけど。
じゃあ、『秋恋』とはなんだろう?
私の夫がオフコースとソロになってからの小田和正さんのファンで、『秋の気配』という曲をカラオケなどで歌っていて、「小田和正さんは古典の知識からこの歌を作ったようだね」と私が言ったら、きょとんとしていた。『秋の気配』の歌詞には『飽きる』という単語は一切、入っていないのだけれど、別れの曲だ。歌い手は歌詞では別れの理由を明らかにしていない。でも、タイトルから、恋人に『飽きた』のだろうと推測できる。夫はその意味を知らずに歌っていたようだけれど。
大江千里さんの『秋唄』という曲や、スキマスイッチさんの『Revival』は、夏の思い出を胸に抱きながら、恋人を想う秋の歌だ。
飽きた恋人に別れを切り出すのも、距離ができてしまった夏の恋人を恋しく想うのも、『秋恋』なのかもしれない。
本日のお題:ここではないどこか
ここではないどこかへは、自分から行くものではなく、迎えが来るものだと思っていた私は、案外、のんきだったのかもしれない。
ウェンディをピーターパンがネバーランドへ迎えに来たように、私の運命の人がここではないどこかへ連れ出してくれるのだと、ずっと待っていた。
迎えなんか来ないと気づいた頃に初めて聞いた、中島みゆきさんの、ここではないどこかを求める、切実な叫ぶ歌声。
ここではないどこかへ行くためには、自分で動かないと駄目だったんだと、切実に自力で走らないと行けなかったんだと気づいたけれど、その時には、迎えを待ちすぎて、身動きが取れなくなっていた。
案外、のんきな私はここも悪くないなんて思いながら、私が迎えに来て欲しかった、ここではないどこかは、どんなところだったんだろうと、ぼんやり考えている。
本日のお題:君と最後に会った日
君と最後に会った日、君は凍りつくような目をして、一言も口を聞かなかった。
僕は言おうと思っていた『ごめん。僕たち、やり直そう』を口に出せなかった。
口に出しても拒否されると、君の冷たい目が告げていた。
あれから君とは一度も会えていない。
君のことはソウルメイトだと、一生、大切にすると、心に誓っていたのに。
ねえ、僕たち、どこから間違ったのかな?
本日のお題:好きな本
小学生の時に両親に岩波少年文庫をたくさん買ってもらった。(成人後、全部、勝手に父の母校に寄付されてしまったが)
ラムの『シェイクスピア物語』『ナルニア国シリーズ』『ホビットの冒険』『メアリー・ポピンズ』数々の本の中でも、好きだったのが、『西遊記』だった。
神々すらも困らせる孫悟空が、三蔵法師にだけはかなわない。
最初は嫌々、取経の旅に同行するのに、次第に三蔵法師を大切に思うようになり、誤解から破門を言い渡されると、泣いてすがるようになる。
BL?そういう感情ではなかった。有名なドラマも後から知った。
石から産まれて怖いもの知らずだった猿が、長い旅の間に、『情』というものを覚えていく姿に、心奪われたのだと思う。
今でも私の一番好きな本は『西遊記』だ。
本日のお題:あじさい
梅雨は苦手だけど、あじさいの花は好き。
青いあじさいが好きで、自宅に植えられたあじさいがピンクになるのが、少し物足りなかった。
あじさいの花の色は土の成分で変わるのだと知った時に諦めた。
不器用な私は鉢植えすらうまく咲かせられないのだから、土の管理などできないだろうと。
多分、少しずつ諦めるのがうまくなっていった。
あじさいの花言葉のように移り気でいれば、長く執着することもない。