ドクドクと強く鼓動し、必死に生きる命の音が聞こえる。ダクダクと溢れて流れ落ちて聞く努力の滴りが、服やタオル、ベンチやマットを艶やかに濡らしていく。紅潮した顔を顰めながら、絞り出す吐息は上昇した体の温もりを感じさせる。時折痙攣を起こす肢体は、もはやこの身体を支えることさえ出来ないでいる。大きく肩を上下させて息を継ぐが、新鮮な酸素を求めてやまない。刻一刻と時だけが虚しく流れていくが、体が言うことを聞かず、私は動くことを諦めていた。
昨日は大好きな腕トレと肩トレの日だった。バチバチに追い込んで、二時間掛けてハイボリュームなワークアウトを終えた時には腕は赤く火照り、身体中の水分が集中しているかのようにパンプアップしていた。最早、トレ後のプロテインさえシェイク出来ないほどに力を使い切ってしまっていた。電子レンジのガラスに映る自分の体をまじまじと見つめれば、パンパンに膨らんだ三頭筋が存在を主張していた。最後に追い込んだ前腕は握力という概念さえ忘れたかのように、私から握る力を奪い取ってしまった。肩は上腕に負けと、これでもかと見せつけてくる。
朝の身支度を終えて、気分を高めるために好きな歌い手のメドレーを再生する。シューズを履いてウェイトをセットすると、ストレッチを始める。筋肉が伸びきらないよう、静的ストレッチではなく動的ストレッチで体を解していく。ワークアウトドリンクをひとくち口に含めば、気合いとともに強く飲み込む。スマホでタイマーアプリを起動し、設定済みのレスト(インターバル)タイムを準備すれば、あとは強いイメージを頭と身体に叩き込むだけだ。
まずは軽重量で筋肉に血液を送り込み、ゆっくりと、だけど確実に温めていく。アームカールで二頭を起こしてやれば、スーパーセットで三頭筋に呼びかける。朝だ! 起きろ! と自衛隊の起床ラッパが如く勢いをもって目覚めさせる。メインセットのメソッドもスーパーセットを選択し、重量設定は筋肥大をターゲットする。レストは二分を設定している。1セット目の並びはAC(アームカール)に続いて、FP(フレンチプレス)だ。二頭の収縮を意識しつつ、巻き上げないよう、押し上げてくるイメージで羽化を丁寧に載せる。三頭筋の伸長と収縮を感じながら掌底でウェイトを突き上げる。息も絶え絶えに、スマホの画面をタップすればタイマーが時を歩み始める。休みながらも、自作のワークアウトノートに重量とレップスを記入する。備考欄には、感じたことや気づきを書き残しておく。
腕を追い込めば残すところは肩である。肩のメソッドとしてはジャイアントセットをチョイスしているが、心が折れかけている。というのも、私は血管運動性鼻炎と後鼻漏で鼻水による弊害を常に受けている。これにより、ワークアウト時には常に鼻をかみ、喉に流れてくる鼻水で噎せたり、それを出そうと痰を切る要領で吐き出したりする。その時に、無意識に力むもんだから胃の中の物が上がってくることがあるのだ。つまり、私はほぼ毎度のように疲労感だけでなく吐き気を催しながら筋肉と語り合っている。しかし、そうも言ってはいられない。各種ダンベルの重量を設定すれば、準備は完了だ。精神力との折衝と、筋肉との対話が幕を開けた。肩は取れてしまいそうなほど、気持ちのいい痛みを受けていた。関節が悲鳴をあげている訳では無い、筋肉が黄色い悲鳴を挙げているのだ。もっと私を追い込め、そしてもっと刺激しろと叫んでくる。しかし、その声に被せるように精神力が瓦解せんと怪しい音を立てている。私は肩の声だけに耳を傾け、意識を集中させ研ぎ澄ませていく。自身の吐息と力みから漏れ出る声と、筋肉の黄色い悲鳴や声援を頼りに確実に苦痛の向こう側へ歩んでいく。
そこには美しい世界が広がっていた。筋肉が歓喜し、精神が乱舞し、血中アミノ酸や乳酸が目まぐるしく駆け抜けていく目が回るほどに美しい光景が眼前に広がっていた。私は成し終えたのだ。自分に打ち勝ったのだ。
しかし、まだ終わってはいない。この日はダブルスプリットを予定していた。つまるところ一日に二度、同じ部位のワークアウトをするということだ。ただし、同じメニューはしない。夕方のワークアウトでは、軽重量で短時間と決めている。全く同じ事をするなど、出来やしない。やろうと思えばやれるだろうが、筋肉を殺してしまっては本末転倒だ。
マットの上にへたり込み、ベンチに顔を埋めている私には為す術なく脱力するだけだ。地獄の脚トレを終えた私には、立ち上がる体力さえ残されてはいない。
今日は脚トレの日だ。多くのトレーニーにとって憂鬱な日と言っても過言ではないだろう。かく言う私も例に漏れず、朝から鬱々としていた。ワークアウト前のルーティンを終えるとラックの前に立ち、精神を集中させ、完璧なパフォーマンスをイメージする。バーに手をかけ、優しく握る。ハッ! と息を吐きながらバーの下に入り、僧帽筋に載せるように担ぎあげる。三度大きく呼吸をして、大きく息を吸い込み、腹圧をかけて体を固める。それでいて関節をフリーにして大腿筋の声を探っていく。どこかで呼ぶ声が聞こえれば、あとは簡単な事、その声とひとつになるのだ。
メニューはスーパーセットだ。ハイバースクワットとレッグカールで、四頭筋に続いてハムを呼び覚ましていく。2種目目はローバースクワットと、ゴブレットスクワットだ。ローバーのワイドスタンスでハムや大臀筋、中殿筋や外側頭と対話をする。ゴブレットスクワットで、四頭筋とサシで話をする。息は上がり、頭痛を覚えてき始めたが途中退席などできるはずもない。最後まで逃げず、弱虫な自分という化け物と対峙する。大粒の汗がボトボトと床を鳴らし、湿ったあつい吐息がそれを助長している。セットが進めば進むほどに、吐き気まで催してくる。ワークアウトドリンクで喉を湿し、みずみずしさも枯渇し乾き始めた大地に恵をもたらすようにアミノ酸の雨を降らせる。脚の筋肉たちは、なりを潜めていたと言わんばかりにはち切れんばかりの主張をしている。あと何セットで終わりが来るなどと、考える余裕もない。ただ思うことは「辛い」ということだけだ。だが、この苦痛は確実に私の財産になっているのだから喜んで受け入れる。
全てが終わった。早く栄養を摂らなければならないのに動けない。そんな中でも、私は喜びに満ちていた。逃げ出さず、自ら辛い選択をして、それを成し遂げたのだと喜びに浸っていた。
またひとつ成長したのだと、
胸が高鳴るのを感じていた。
....また15連勤が確定した。ためているお題の執筆ができないのは、楽しんでいただいている皆様や待ち遠しく思って頂いている皆様に申し訳がなく辛く悲しい。泣いてもいいですか?
明日、お仕事が早く終わったら
執筆したく存じます。
どうか私のことを見捨てず、お待ち頂けましたら幸いです。
「怖がり」
やーーーっと日曜日にお休みが取れたので、
日曜日に貯めていた分を投稿致します。
その時は、是非目を通して頂けますと幸いです。
「ずっと隣で」
後日に執筆するため、お題を残しておきます。
只今絶賛連勤中の為、
余裕がないために書けません!
ごめんあそばせ!
「富」や「名声」などというのは誰もが昔から掴もうとしてきたものだが、これというのは言うほど大それたものでは無い。「富」とは莫大な資産のことを指すのだろう。「名声」とは誰にでも広く名が伝わることを指すのだろう。しかしだ、このどちらも現代社会においてはなかなか違和感のある響きだ。
その日その日を食いつなぐため、ただひたすらに仕事に励むひともあれば、パチンコなどの遊戯や競馬などの勝負事を楽しむために働くひともいる。かと思えば、老後や万に一つの病気や怪我に備えて貯蓄をする人もいる。資産形成をすることで財産を残すもひともあれば、子や孫の先長い未来のために備えるひともいる。起業して大きく成長させて、大きな財産を獲得することもあれば運がいいか、宝くじや勝負事で大きな金を掴むこともある。いずれにしてもそれは滅多なことではない。誰にでも可能性はあるが、その可能性の先にある運や縁を掴むことが出来るかどうかで結果は左右される。片や、背負わされた借金で困窮することもあれば、自堕落な結果として空に困ることもある。
昨今の物価高止まりや低賃金などで、稼ぐことも財産を蓄えることも難易度が上がったと感じる者は少なくはないだろう。賃上げ政策などは、蓋を開けてみれば企業努力という中々に難しく首を締め上げることで却って経済を不安定化させている。この時世にあって、節約や倹約こそすれ、貯蓄を継続していくのは難儀だ。子育てをしている世帯を始め、毎月途方もない資財を費やす環境下で家族を守るのが精一杯という状況のひとも多いだろう。私の母は肝臓癌を患い、治療に伴う出費が大きい。その負担は兄弟などで持ち合うが、私の兄弟はまともに働いていない為に私だけが毎月のように金策に頭を悩ませている。
冒頭に述べたことだが、「富と名声」はだいそれたことでは無いということについて。これは、この時制にあってほとんどの国民が食うに必死だ。だからその日その日で生きられるだけの金を左傾でいるだけで素晴らしいし、とてもありがたいことなのだ。病気や事故で、働きたくても働けない人達もできる限りのことで生きている。辛いことや身体的な要因から働きたくても働けない人たち。それでも、どうして生きようと模索をしている。片や、健康で何ら不自由の無い体をもっていても怠けて動かない人間もいる。守るべき家族や大切な人がいて、自分のことだけを考えて怠けて現実から目を背ける人間もいる。
今というのは、正に生きていく事が実に難儀だ。今日一日を無事に過ごし、ご飯を食べて暖かい布団で眠ることが出来れば、これぞこの苦境の中にあって「富」と言えるのではないだろうか。大金があれば困ることは無いだろう、苦しむこともないだろう。使い方や人や財産との付き合い方で、その価値観や環境というのは確かに変わる。しかし、平々凡々とした生活を崩さなければその大金で頭を悩ませることもないだろう。しかし、現代において目の前の今日明日を生きる金が何よりもの富と言えるのではないだろうか。
では、「名声」とはなんだろうか。これは歌手や俳優、スポーツ選手や作家や画家といった著名な人間のそれを指すのだろう。顔と名前が頭に浮かび一致し、それは不特定多数で、世代によらず国によらず多様な人や場所で知られる存在。しかし、これらも誰にでも同じように可能性はある。勝敗や未来というのは同じように開けている。開けては居るが、運や縁、環境や状況で掴めるかどうか道は別れる。
しかしながら、これも「富」同様だろう。SNSが明るい時代である現在の世の中では、様々なフィールドやツールが存在している。【YouTube】や【Instagram】、【Twitter】や【TikTok】など様々な環境が一個人が個人という「商品」を世界に発信できる。例えば、Twitterでは、私の相互フォロワー様のなかに絵師をされている方がいる。この方は最初はフォロワー数も二桁程度で、「いいね」の数もわずかだった。それが、二年経った今ではフォロワー数も「いいね」の数も万を超える。毎月のように何件も依頼を受けては活動している。親しくしていただいているが、気がついた時には雲の上の人になっていた。
様々な特技や趣味、あるいはスタイルなどで如何に自分という「個」を商材として扱えるか。そして、売り出していくか。もともと素晴らしい記述や才能の持ち主は昔から多くいたが、それを表に出すことが中々に難しかった。それが今では、「SNS」という宣伝ツールで発信をすることができる。もちろん、誰にでも様々なものを発信することは出来るが、結局のところは熱意や努力。探究心や向上心といった人一倍の気概が重要であることは言うまでもない。つまるところ「名声」というのは、実はそんなに遠い存在ではない。身近なことでいえば、勤務先で「仕事が出来る人」や「センスある」などの評判というのもひとつの名声だと言える。これが他の職場や環境などで吹聴されることで、知らぬところで自分自身の価値が高くなっている。私自身もそう感じているが、これをどう捉えるか次第だ。そんなものではダメなのだ! と否定して投げやるのか伸ばすのか、気持ち次第で財産にするも捨てるもできる。
しかしながら、そんな「金や呼ぶ声」よりも重要なものかがある。自分自身を思いやり、労い褒めたたえる心。誰かを想い、慈しむ心。ざっくり言えば愛情というものが人間には重要なのだ。愛する人おらずとも、自分が自分を案じてやる、想ってやることくらいできるだろう。否、出来なければならない。それをないがしろにした時、自らが自らの価値を捨て、苦しめ打ちのめすことになる。
長ったらしくここまで言葉を並べてきたが、まずは自分を思いやり支えてやらねばならない。そして、今日をという日に感謝をして一日を無駄に、蔑ろにしないよう生きるのだ。そうすることで、人生に価値が生まれ、自らもそこに価値や財産を見出すことが出来るのだ。