「来ないね」
「来ないね」
二人で顔を見合わせて、また前を見た。
「来てないねぇ、船」
波音ばかりが私たちを取り巻いて、潮風は虚しく顔をくすぐる。入江から海原を見渡す限り待ち望んだ姿はない。
揃ってため息を吐いたところで、隣の彼女は湿っぽい空気を振り切るようにうんと伸びをした。
「あのさ!もう仕方ないから!宿探そう!」
「……そうは言っても、だよ」
遠かった手を引いて体を寄せる。ぐっと近寄らなければ、その瞳の真意がわからなかった。
「真っ暗じゃん。ここ、無人島じゃん」
そう。真夜中、街灯もなく、廃れて久しい港町。星々だけが柔らかく微かに網膜を突いている。
この旅路を阻んだのは、なんとかして島を離れたい私たちの前に、予約した船が来ないという事態であった。
うげっ!と声に出してまで目を逸らした相棒に、ますます焦りが募って言い迫る。
「それに宿屋って、あるわけないよ。ここに来るにも人影なかったし」
「マァ、そうでしたね」
「携帯食料はあるけど、気候も安定してるけど、家屋なんかひとっつも見なかった」
「潰れた瓦礫だけだったねェ」
もう一度、しっかり顔を見合わせた。私たちは今からここで一晩か二晩は過ごさなければならない。
「雨風しのげる家、いや、贅沢は言わない、『基地』!」
彼女がその言葉に目を輝かせる。何度も見た輝きだった。
色もわかりにくい闇の中、向けられた笑顔は真上の星よりもクラクラと酔ってしまうほど。
「うん、『基地』、作ろう!」
厳しい状況ではあるが、まァ、なんとかなるだろう。なんといっても私たちは出会ってこの方二人ぼっちなのだから。
「星を見ようよ。星座の話をしよう。船旅を祝福する、船乗りを導く星座の話」
私の腕を引いて彼女は笑う。
昨日もした話である。私と君と、二人ぼっちを導く星座の形は何か。
崩れた屋根の下、歪な三角の中で秘密基地に寝そべって。星を見る彼女の横顔ばかり見つめて。そんな私が目に浮かぶ。
『私』を導く星は君なのだと口にしようか迷って、やめた。
「そうだね。星座の話をしよう!」
しるべに従うだけじゃない。月も知らない真っ暗な浮世で、ただ一つ君に寄り添う星でいたい。
そして散るのならば、君も道連れにするくらいのすぐそばに。二度と一人ぼっちにならないように。
知らない人が私の手を取る。
暖かな温もりが実感を与え、やがてそれを介して人とのつながりを教えてくる。
あれ、この人、知ってる。
母だ。
彼女はおさげを揺らして、私の小さな手を包むように支えて、そこに飴玉を落とした。私の手をぎゅっと丸めて、その上から両手で押さえ込む。
「お兄ちゃんには内緒よ」
うん、と笑った。
私ではないけれど、私は笑った。
じわり、じわ、じゅわっ。
溢れたような音が胸から聞こえる。短い逢瀬が確かに私に愛を教えてくれた。
誰かの母から、誰かへの愛が、私にとっては眩くてたまらない。愛しい気持ちが誰かのものだろうと、私のものだろうと、変わりはない。
夢から醒めたらこの記憶も愛もなかったことになる。
なら一生醒めないままがいい。夢の中で死なないまま緩やかな情愛に溺れて生きていたい。
願って、願って、本物になる日が来ると信じて。
「起きろ」
静かな朝。布団の中の微睡。
叩き起こされたとしても、夢は続いていた。夢の中の夢は終わったけれど。
「私、仕事がありましたか」
「俺の朝食」
「ああ。当番でしたね」
彼は返事もせずに部屋を出て行った。存外優しいことを知ったので、私はそれが寝起きから身支度のための時間だと理解している。
「朝ご飯は白米と魚、それから……ええっと、みそ汁」
一緒に食べたら、なんだか家族みたいだ。同じ家の中にいるみんなって家族なんだろうか。
朧げな記憶を辿って飴玉を思い出す。
家族ってきっと美しくて、綺麗で、暖かくて、汚れのない情愛のことだ。まったく苦味のない、完全に透き通ってはないけれど、純粋で可愛い飴玉のような。そういう家族が良い。
なれたらいいな。みんなと、家族に。
そして、この夢の中の本物に。