自尊心とフォーク
昨日の夜、歩きながら考えていた。
人にはそれぞれ、自分なりの自己イメージがある。
自分はこういう人間だ、自分はこれが好き、自分はこれが得意、自分の性格はこう。
それは、自分のモデル、自分のアイデンティティ、自分の反応特性、とも言いかえることができる。
それは自分のことを肯定するための土台だ。だから、それを否定されると人は攻撃的になる。
歪んだ自己イメージを持っている人に、どう接すればいのか?
彼らの自尊心にフォークを刺すと、眼の色を変えて、狂気の沙汰で責め立てられる。
今度いっかい膝を突き合わせて話してみよう。
わかるところもあれば、わかりあえないところもあるかも。
突き刺すのではなく、お互いをわかり合うために。
上手く行きません。
新生活。新たな友人。給料で旅行。ちょっとした贅沢。
周りは幸せそう。しかし僕は?
大事なものを失っている気がする。
この社会の荒波の中で、幸せに生きる方向はどっち?
君と出会った頃の私は、
どうだったかな。
君は優しい笑顔で、僕を面白い人だといったけど、
あの時の僕の心の中を知ったらどう思うだろうか。
あの頃の僕は、
将来が不安で、そのくせ周りには自信満々に夢をうそぶいていて、
自分の空っぽさに気づきながら、他人に意味もなく理想を押しつける人間だった。
「俺は将来は〜〜して、〜〜する予定だけど、君は何してるの?」
あの時話していたことは、もちろん何一つ実現しているわけはなくて、
僕はあの時を思い出すと、
「あーーーっっ!!」
と、頭を抱え込んでしまう。
それから僕も色々あって、
今は何とか人に顔向けできるような自分になれたと思う。
僕の方はこんなに変わったのに、
君の笑顔は前と全然変わらない。
僕が変なことを言って、君は温かい顔で笑う。
その一つ一つの笑顔はなんでもないようだけど、
長年の笑顔が僕の心に積み重なって、
今の僕を作ってるよう。
君と出会わなかった人生を考えると、少し怖い。
太陽のような君の笑顔に、
みんなは言ってる。あいつは優しいやつ。
あいつはいつも笑顔で、
席をお年寄りに譲って、
忘れ物をした人に物を貸してる。
でも、ツイッターの裏垢があるらしい。
みんなは言ってる。あいつは嫌なやつ。
あいつはいつも無愛想で、
友達はいないし、
嫌なことを言われたこともある。
でも、この前将来の夢は医者って言ってた。
みんなのこころの中。
見える優しさ、見えない優しさ。
カラフルな世界。
普段の生活では、見えなくなってしまう。
でもよく見ると、
「ほら、道の脇にも」
「ほら、窓の外にも」
カラフルな世界があふれてる。
僕らはとても近視眼的で、
ネットに、仕事に、人間関係に絡め取られて、
それしか見えなくなることがある。
でもふとした時、
道の花が、空の青さが、あの子のTシャツが、
僕を連れ戻してくれる。
そんな小さなカラフルが、もっと世界に広まればいいな。(特に東京)