渡り鳥
「お前は渡り鳥みたいだ」と友人に言われたことがある
どういう意味かと聞いたら1箇所に留まらず、短期バイトでいろんな仕事をしているからだそうだ
「それはいい意味なの…?」
疑いの目を向ける私に友人は慌てて「いい意味だって!」と弁明していた
その慌てっぷりが面白くて笑った
私が笑うと友人も釣られたように笑った楽しい記憶だ
君の名前を呼んだ日
下校途中の交差点で彼女と信号待ちをしていた時、彼女に向かって来る車が見えた
「未来!!」
咄嗟に彼女を横に突き飛ばした所で俺は強い衝撃を身体に受けた
あまりの衝撃に気が付いたら地面に横たわり、彼女が泣きながら俺の顔を覗き込んでいた
彼女の頬を触ろうと手を動かすと物凄い痛みが全身を駆け巡った
「圭!!」
俺の表情の変化にいの1番に気が付いた彼女が俺の名前を呼んでくれた
「な…まえ…」
「え?」
「初めて…呼ん…だ…」
掠れてうまく発語ができてない俺の言葉を聞いた彼女はボロボロと涙を流しながら「ほんとだよ…これからももっと呼んで…」と言った
初めて君の名前を呼んだ日は俺が交通事故にあった日
衝撃的な日に初めてを使ってしまったね、と今では笑い話だ
ーーーー
これで最後
「これで最後ですか?」
引越し業者のお兄さんに聞かれて「そうです」と答える
お兄さんは「わかりました」とだけ言って、最後の段ボールを持って玄関を出て行った
お兄さんの後に続くように玄関に行き、靴を履くとクルッと体位を変える
そこには拗ねた態度の婚約者だった人がいる
「お世話になりました
まぁ、お世話になった事なんて1度もないけど」
嫌味ったらしく笑顔で言うと玄関ドアを開け、外に出る
閉まるドアから見えた彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた
これから起こるであろう事を想像してニヤついてしまう
ーーーー
さらさら
髪を掬ってはさらさらと指の間から落ちて行く様子を楽しんでいる俺を彼女は鬱陶しそうに見てくる
彼女の視線を気にせず、同じ事を繰り返す俺に呆れた溜息をつくと彼女は手元の本に視線を戻した
ざわざわと賑やかな教室内で俺と彼女の2人がいる場所だけは水を打ったように静かだ
彼女の髪を遊ぶこの時間は俺にとっては安らぎの時間だ
やさしい雨音
初老のマスターが1人で営業している喫茶店の窓際
そこで読書をするのが私の癒しの時間だ
席に着いた時には日差しが入って明るく、読書するには丁度いい
夢中になって読み進めていると手元が薄暗くなっているのに気が付いた
窓の外を見ると暗い雲が空を覆っていた
(曇ってきちゃった…)
ぼーと空を見上げているとポツポツと雨が降ってきた
「お嬢さん、2時間ぐらい降るみたいだよ」
「そうなんですか?
雨宿りして行ってもいいですか?」
「構わないよ」
マスターはニコッと笑ってくれた
マスターに紅茶のおかわりをお願いして、優しい雨音を聞きながら読書の続きを楽しむ
歌
土手を歩いて帰宅中にとても綺麗な音が聞こえた
立ち止まって音の方を見ると河川敷に人影が1つあった
沈みゆく太陽に向かって静かに歌うその人
(アメイジング・グレイスか…
神に感謝する歌だっけ…)
朧気な記憶を掘り起こす
悲しげな声なのに人を惹き付ける魅力を持った不思議な声だ
昨日と違う私
ダブルデートの今日、約束の時間より早く着いた私達は改札口が見える柱に寄りかかって話していた
彼がじーと私の顔を見つめる
「どうしたの?」
「昨日とメイクの雰囲気が違う気がする…」
うーん、と首を傾げて考える彼が可愛くて仕方ない
「昨日とアイメイクとリップの色が違うんだよ」
違いを教えると彼は「そうなんだ!」と目をキラキラさせる
色が違うと言っても赤から青みたいにはっきり違うわけじゃない
それでも昨日との違いに気が付いてくれて嬉しくなった
それ以降は他愛ない話をして友人カップルを待っていた
ーーーー
そっと包み込んで
休日、何の予定もないけど外に出てみようと身支度を整えて姿見鏡で全身チェックする
「ん、かわいい!」
鏡に写る自分に言うと玄関ドアを開ける
何となく駅方面に向かっていると大きな荷物を持ったおばあちゃんが階段を見上げて溜息をついていた
「あの!」
「はい?」
何も考えずに声を掛けてしまった事を後悔したのは可愛らしい顔でおばあちゃんが振り返った後だった
「えっと、荷物をお持ちしますよ
ゆっくりでいいので一緒に行きませんか?」
「ありがとう
助かるわ」
ぱぁ、と花が咲いたように笑うおばあちゃんに迷惑にならなくて良かったと胸を撫で下ろした
荷物を受け取り、おばあちゃんとゆっくり階段を登る
家族の話など沢山 話してくれ、楽しいひとときになった
「ここで大丈夫よ
ありがとう」
歩道橋で反対側の階段を降りた所でそう言われ、荷物を渡そうとするとそっと包み込むように抱き締めてくれた
「貴女のお陰でもう会えない娘に会えたようだったわ」
涙声のおばあちゃんをゆっくり抱き締め返すと服が濡れる感覚がした
時間にして数分だったが、私達2人にしては永遠の時だったと思う
おばあちゃんは荷物を持つと私に1度 頭を下げて歩いて行った
おばあちゃんの背中が見えなくなるまで見送り、私は実家に向かう
見知らぬ人とはいえ久々の人の温もりに触れて、無性に母に会いたくなったから