いつまでも捨てられないもの…。
そうさなぁ、やっぱ『過去』かなぁ。
でも、まぁ。
過去は現在、思い出へと変容している最中だ。
良いアーカイブになってくれれば、幸いである。
実物で捨てられないものは、学生時代に書いた物語たち。
中学生の時に書いた人生初の物語は、ノート1冊を使いきった。
ノートに書いたものをパソコンで入力するという初体験もこの時にしている。
キーボード操作が苦手で、凄く時間がかかったのを覚えている。今となってはあり得ないことだが、手書きの方が早かったと思う。
ノートは引っ越しの時に手放してしまったが、印刷したものをまだ残している。…恥ずかしくて読めないが。
高校時代は、文章を書く部活に入っていた為、いくつか作品が残っている。
短編が、2段組構成の3ページで2つ。
中編は、2段組構成の17ページが1つ。
長編は、序章1段組構成の7ページ。
前編&中編、2段組構成の49ページ。
そして、後編は、
家族からの理解が得られず未完となった。
当時は、家にパソコンが1台しかなかった。
その為、長時間パソコンを占領する私は、使用許可がおりなくなってしまった。
当初計画していたエンディングや、シリーズ化の空想も空想のままで終わってしまった。
今思えば、もう少し上手くやればよかったとも思うのだが…。
夢中になると時間を忘れるタイプの為、遅かれ早かれこうなるのは運命だったのだと思う。
パソコンを使わせてもらえなくなってからは、手書きで部誌に参加するようになる。
その為、詩のような散文が数ページ残るばかりだ。
そういった苦い思い出も残っているものなのに、当時の文章を読むと楽しんで書いていた記憶が蘇ってくる。
生き生きとした文章が、それをよく物語っている。
故に手放すことが出来ない。
創作環境に縛られなくなった今、当時の思いが少しでも晴れれば良いとこっそり思っているのだが、文章の技巧などを過去に置き去りにしてきてしまったのだから…。
まったく…なんと言ったら良いのだか。
まだ自身の中で判然としていないが、1日も休まずここを続けられているのは、当時の思いが慰められているから──なのかもしれない。
何かが1つでも違えば、私はココにはいない。
運命とは、本当に面白いものだとしみじみ思う。
夜の海に潮騒が響いている。
海岸の岩場には、ランプによって生まれた2つの影が伸びている。
その影の一人、山高帽を被った男は何かを思い出したのか、唐突に口を開いた。
「そういえば、灰色のアレからクレームが入ってるぞ」
「クレームなの!?…紺じゃなくて灰色の方ね。何だって?」
「『あの言葉をホームシックの言葉みたいに扱うとかマジ無い』だそうだ」
あの言葉とはちょっと前に書いた「帰る場所があるから遠くに行けるんだ」という言葉のことだろう。
「あれは…。だって、話すと長いから」
お家で迎えてくれる人がいる喜びって意味だけでも良いかなぁと。
時間の都合上カットしたのだが、どうやらそれが気に入らなかったらしい。
「『色々気づいたことがあっての言葉なのだから、しっかり説明して』、『ダブルミーニングなの!』だそうだ」
…ダブルミーニングって、そう大したものでもないし、長いからカットしたのに。
「書いてあげるべき?」
「…ご自由に」
仕方ない。
過去の言い分を叶えておこう。
以下は、過去から書けと言われたものである。
冗長注意の看板を立てかけておくので悪しからず。
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一人散歩をしていると、「あれは何だろう?」と興味のアンテナがピンっと立つ事がある。
そうなると──本来の散歩の目的とは異なる横道にソレたとしても──その気になるものを一先ずの目的地にしてしまう。
目的地に向かって歩いていく時、頭の中は「知りたい」気持ちと知らない道を歩く興奮に満ちている。
その気持ちに答えるように、景色も呼応し、それまで不鮮明だった目的地が鮮明になって見えてくる。
「ああ、〇〇だったんだ」と答えを得た脳みそは、例え対象物がガッカリなものであっても「知らないものを知ることが出来た」という喜びを得る。
そこで、満足して戻れば良いのだが、そこから更に興味のあるモノを見つけて、同じ事を繰り返してしまう。
はたと気づいた時には、本来の道から離れ随分遠くまで歩いてしまっていたりするのだから、興味とはげに恐ろしい。
興味があるから目的地になって、そこで満足を得たら、また興味あるものへ向かっていく。
この構造は、人生における「夢」の設定とどこか似ていると、今も変わらず思っている。…本筋へ戻ろう。
随分遠くという感覚は、実は、もと来た道を戻る時に実感するものであったりする。
ひたすら目的地に向かって歩いている時は、ただ目の前の事に夢中である為、自身の総距離など眼中にない。
何故こんなに後先考えず歩いてしまったんだろうと後悔するのは、いつも戻りの時だ。
そこで当時の私は思った。
もし、地図も標識もない世界で、家も持たず一度通った道も戻らないという旅をしたら──。
ひたすら前へ前へと向かう旅だ。
目に映る景色が変わる時になって初めて、それまでの道と異なることを知るのだろう。
地図や標識がなければ、どれほどの距離を歩いているのかもわからず、遠いや近いという判断もないのかもしれない。蓄積される疲労からは「歩いた」という事実のみを実感するのだろう。
本来、遠いという言葉は、二つのものが空間的、時間的に、また心理的に離れているさまをさす。
当時の私は、基点という留め針があって初めて、遠いや近いは定義されると思っていた。
過去の発想にもう少し耳を傾けてみよう。
基点の部分には、色々当てはめることが出来る。当時の私は「帰る場所」を基点とした。
帰る場所があるから、遠いところがある。
基点があるから、そこから距離の離れたところは、遠いところと定義される。
基点が存在しなければ、遠いところは存在しない。
「帰る場所があるから遠いところへ行ける」
上記に隠れていた言葉を開示すると、
──帰る場所があって、遠いところに興味があるからこそ、そこへ行ける──
基点があり、遠いところが定義されたところで行こうという意思がない限りそこへは行けない。
興味があるからこそ、遠いところへ行けるが、そもそもの基点がなければ、遠いところは存在しない。
故に、基点があるからこそ、遠いところへ行ける。
子供なりに哲学をしていたのだと、当時の私は言う。
大人になった私から当時の私へ、定義云々は脇において、一つアドバイスを贈ろう。
基点の「帰る場所」を「命」に変えてみると、より滋味のある言葉になると思われる。
「命があるから、遠い場所に行ける」
さらに言葉の枷を外すなら
「命があるから、どこにでも行ける」
想像の羽は、無尽蔵。
果てない興味が尽きるまで、
その命が続く限りまで、
何処までも歩いていきなさい。
「遠い」も「近い」も無く、
貴方は自由だ。
文章を書き終えほっと息をつくと、
「ちゃんと色々考えていたんだよ」と誇らしげに胸を張るかつての自分が見えたような気がした。
夜の海に潮騒が響いている。
年中夜のここに訪ねてくる者は、そう多くないのだが、最近は──。
「また居る」
本体が浜辺の岩に腰を掛けて、本を読んでいる。
本体のそばに置かれたランプが当たりをぼうっと照らしている。
夜の海を照らすその明かりは、小さな灯台のようにも見える。
素足が思考の海に浸かっているところを見ると、涼みにきているようにも見えるが──。
「ここにある言葉が必要なのか…」
本を読む本体は、ニコニコしていたかと思うと、急にしかつめらしい顔をし、恥じらう顔になったかと思うと、ムンクの叫びのような顔をしている。千変万化という美しい言葉を出すのは引けるので引っ込めるが、面白いほどコロコロと表情が変わる。
このまま放置し続けるのも一興だが、声をかけておこう。
波風に帽子が攫われないよう手を添えて、本体のいるゴツゴツとした岩場へと向かう。
「おい」
「…今良いところなんだけど、何?」
「最近は隨分と良質な言葉がこちらに来るが、根源はそれか」
「素敵な本でしょう」
本体は、本を掲げるとニッコリと微笑んだ。
本体が読むものは思考の海に流れてくるので、内容は知っている。
隠喩と暗喩に満ちた文章で紡がれた物語。
その物語の裏には、幾千の分岐が平然と隠れている。
言葉の表面を撫ぜただけでは、表向きの物語だけしか掴ませない。非常に巧みな仕掛けが施されている。
「高純度な言葉や物語は歓迎だ」
そう言ってやると本体は、嬉しそうに「ヘヘッ」と笑った。
「んー、でもね。偶に読み進めていると、こう、手を掴んだ瞬間にクルっと返されて、違うルートに回されるような感覚がするんだよね。でも、時折コッチって強く引っ張られる時があるし…ピカって言葉が光るのも見えるんだけど…」
本を捲りつつ本体がゴチる。
「気づいてないのか」
「何が?」
「手を引っ張ってるのは、アレだよ」
「…ぇ゙、アレ?」
脳裏に浮かんでくるのは、紺色の古臭い型の制服に身を包んだかつての──。
「いやいやいや。アレは力を貸してくれるような魂じゃないよ」
「いや、お前の頭を国語の教科書の角でゴスゴスと叩いている姿を俺は見たぞ」
「マジか、止めてよ」
「無理だ」
目がマジな奴を止めるのは怖い。
「無言でやるとは思えないから…何か言ってた?」
「『固定概念を外して、しっかり読み解け、バカ』だそうだ」
「あぁ、言いそう。ていうか、絶対言う。めっちゃ自分に厳しいんだもの、アレは」
本体は頭を抱えて天を仰いだ。
「でもさ、頭叩きに来るくらいなら、一緒に創作もしてくれれば良いのに」
本の隅をいじりながら今度はいじけ始めた。
…忙しい奴め。
「こうも言ってたぞ。『今はROM専なんで』」
「その言葉も最早死語だわ」
本体には見えていないようだが、本体の隣には野暮ったい紺の制服に身を包んだアレがいる。
「創作しないのか」と無言で問いかけると、肩を竦めた。
「素直じゃない奴め」
時折本体に力を貸しているくせに。
どうしてこうも素直じゃないのか…過去という奴は。
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夜の海での出来事
言葉の自転車に乗って、書物を旅する。
旅はいつも、潮騒の様な音を立てる森から始まる。
吹き抜ける風に煽られた葉は、荒波のような音を立てている。それに呼応するかのようにチラチラと光が乱舞する。
荒波の中に隠れた声を聞いただろうか?
乱舞する光は、何を照らしていた?
ここにおいては、全て必然。
物語の主の作意は、もうすでにある。
取りこぼさず進む為には、一旦言葉の自転車を降りて歩くこと。その際、言葉の自転車を押すのも忘れずに。
言葉の自転車を押しながらのんびり歩いていると、見落としがちなものを見つけられる。
例えば、ほら。
あそこの樹の下にある花なんて、実に意味深だ。
描写が殊更な時は、そこに伝えたい意味が隠れていたりする。
愛でるついでに言葉を頂戴しよう。
街の入口が見えたなら、言葉の自転車はここに置いて、主人公を訪ねよう。
主人公は、物語のガイドだ。
例外はいくつかあるが、大抵出ずっぱりなので、すぐ見つかる。
無事見つけられたら、ガイドに続く旅行者になっても良いし、主人公と一体化するのもまた良い。
主人公との旅を通して、物語の概要や沢山の経験、感情を得られたら、次はサブキャラクター達に目を向ける。
彼らは彼らで、主人公にはない魅力を持っている。含蓄ある言葉も彼らから得やすい。
彼らの言葉を拾い上げ、いくつかを自分のお土産にしよう。
それが終わったら、街の入口へ戻る。
言葉の自転車の前籠に、手に入れた言葉達を入れる。
何故入れるかって?
言葉は言葉を呼ぶものだからさ。
さあ、準備が整ったならば、言葉の自転車に乗って旅といこう。行き先は、物語の裏側。
主人公達が通った道の脇。さり気なく通り過ぎた景色。賑わう街の裏路地。何気ない言葉。
主人公との経験やサブキャラクター達の言葉を携えた自転車でいくと、物語の中にあるいくつかの言葉達が光を帯び始める。
その言葉を拾い集め、繋げていくと──ほら。
「見ーつけた」
物語の裏側に隠れていた──素敵な秘密。
今日も私は、言葉の自転車に乗って書物の中を旅している。
物語の言葉の裏に隠れた、素敵な物を見つける為に。
社会に出て働くようになってからというもの、
一緒に働く身近な人たちは、どの人も優しく、能力に長けた人たちという奇跡に恵まれている。
故に、人から優しさを貰い、不器用なりに優しさを返す。人から学び、自分の糧とする。
そういった好循環が起きやすいのだが、
何故か、いつも、環境が自分と合わない。
一緒に働く人以外とは不思議なほど反りが合わないし、会社のルールも自分の性格と合っていないことが後から発覚する。その上、仕事内容も飽きてしまう。
…何故だ。
まぁ、人とズレたところがあると自覚はしているので、会社のルールやら人間関係やらは、合うほうが珍しいと思っているけれど。仕事飽きちゃうのは、飽き性が原因だと思うけれど…。
…。
夏休みが今日で終わることもあって愚痴ってしまった。
失礼。
日々の仕事というのは、自分にとってなかなかストレスだ。
そんな環境の中で心の健康を保つには、本と音楽。
最近は、SNSも欠かせない。
本や音楽というのは、通勤中や休み時間に摂取出来るのが良い。
取り入れたら、現実から逃避できる上に速攻性もある。本と音楽がこの世にあって良かった。
感謝の念に堪えません。
SNSは、仕事から帰ってきてから楽しむものと決めている。
情報収集や推しの投稿を見るために使用しているが、推し達の投稿を見るだけで元気を貰える。
お仕事情報やチケット情報等が出たときは、それまで頑張ろうと思える。
好きなものがあるからこそ、心の健康は保たれている。
好きという感情は、強力なお守りだ。