病室…。
多くの人にとって、始まりの場であり、終わりの場でもある。
「病室」と一括りにいっても、その中にいる人は様々だ。生まれくる命に喜びの涙を流す人がいれば、今まさに命の炎が消えようとしている人もいる。
生と死が隣り合う場所なればこその光景だ──
無機質な部屋の中で繰り広げられるドキュメンタリーは、常人では受け止めきれないほどの感情で溢れている。
その中で「病室」は、延々と人の命の重みと儚さを受け止め続けるのだろう。
泣くことも、笑うこともせず。
弱音も吐かず。
拒みもせず。
ただ、どんな人も受け入れる部屋として。
ここのところ、過去に目を向けてばかりいたからだろうか。テーマに「前を見ろ」と言われてしまった。こりゃ失敬。
自分にとって過去を振り返ることは、嫌なことが思い出されるので苦手な行為だった。
楽しい思い出を覆うように、辛かったことや失敗したことばかりが広がって、苦しみばかりが胸を襲うから極力しないようにしていた。
誰にも打ち明けたことがないソレを、見抜いた人物がいる。
前職の直属の上司だ。
私が過去というものに対してネガティブな感情を持っていることを雑談の中から見抜くと、こう言った。
「思い出は、反省とか後悔をするためにあるんじゃなくて、楽しかったと思うためにあるんだよ」
この言葉をかけてもらった時、
「そうなれたら幸せですね」と他人事のように思っていた。
あれから数年。
ここで文章化するくらいには、過去を思い出として扱える大人になった。
「大人になれば、どんな過去も思い出になるのよ」
とは、母親の言だ。
どうやら私も、そういう大人の仲間入りを果たしたらしい。
ここで文章化したものは、ささやかな事ばかりだが、言葉を紡ぎながら満ちていく不思議な感覚を味わっていた。
過去の自分と今の自分が混じり合って、爪の先まで余すことなく自分なのだと再認識するような──自分を取り戻すと言うと少々陳腐だが、本来の姿を素直に受け入れるとはこういう感覚なのかもしれない。
明日、もし晴れたら──
青空を見る度に疼くエスケープの亡霊にこう言ってやろう。
「過去を思い出にできる力を、私は持っているぞ」
エスケープの亡霊も思い出の名の下に、その姿を変えるかもしれない。
────────────────────────
先日書いた文章にて麦畑と書いていましたが、正しくは稲でございました。大変失礼いたしました。
勘違いに至った経緯も思い出しましたので、笑い話に一つ。
家に帰って、黄金の絶景を見たことを興奮気味に母親に語る中学生の私。
「なんかツンツンして見えたけど、アレは何だろう。稲だったのかな?」
母親「この時期だったら、稲はもう収穫されて無いわよ。黄金色でツンツンして見えたのなら麦じゃない?」
私「そうなんだ!あれは麦畑だったんだね!」
その後正しい知識を入れるもスッカリと忘れ、当初覚えてしまった麦の言葉が呼び出されてしまったらしい。
なぜこの間違いに気づいたかというと、昨日の文章を読みながら過去の景色を反芻している時に違和感があった為、間違いの発見に至った。
ちょっと折角なので、その時の脳内の言葉もどうぞ。
「黄金の波がこう、ザザーンと綺麗だったんだよなぁ…。でも、記憶の精度をあげると…なんか麦と違うような。でも、音声の記憶はハッキリと麦と言っているんだよなあ。ちょっと麦の収穫期調べよう」
ここでハッと気がつく
「待ってこれ、昔もやったじゃん!調べてああっ!ってなったやつじゃん!」
一番初めにインプットしたものが間違えていると起こる恥ずかしい弊害。
…麦も稲も美しいから良いか←
お粗末様。
一人でいることのメリットは、何だろうか。
他人への気遣いが不要なこと。
自分のやりたいことや、好きなタイミングを選べること。
興味本位が出来ること。
大体の事柄の責任が自己完結すること。
そんな事を頭の中でつらつらあげていると、中学生時代の一人散歩の思い出が浮かんできた。
最近の私はどうも、過去の記憶に惹かれやすい。
「それはきっと、ノスタルジーな夏だから」と意味もなくカッコつけて言いたいところだが、ノスタルジーが消し飛び、エモさも消し炭になる、ここ最近の酷暑は一体何なのだろうか。昔の風情ある夏を見習ってほしい。…けれど、清少納言の「夏は夜…」も京都の暑さがヤバすぎて、日中はマジ無理すぎるからという解釈が出回っていたような…。大昔も「夏は無理」だったのだろうか。
…脱線した。
過去の出来事にフォーカスがいくのは、興味の矢尻が過去を指しているからとでも思っておこう。
一人散歩は、中学一年と二年の十一月にしていた。
十一月にしていた理由は、
一つ、涼しい。
二つ、大きな試験や行事が無かったから。(文化祭が無い学校だった)
休日の早い時間に起きて、尚且つ気分が良い時にだけ一人散歩をしていた。
携帯電話を持っていない年齢だったが、親には「ちょっと出かけてくる」とだけ言って、少ない小遣いを持っていけば何も問題はなかった。
ちょっと出かけてくる──そう言って、向かう先は片道9キロの隣町。道中、興味本位で横道にそれたりすることもある為、だいたい2時間〜3時間の道のりだ。
地図も使わず、勘だけを頼りに歩いていく。
住宅街を友達の家に向かうフリをして歩き、車の通りが多い割に建物がないだだっ広い大通りは、大通り唯一のコンビニへ向かうフリをする。子供の一人歩きと思われないように、その場その場に合わせた行動を心がけていた。心の中はいつも「地元の子ですが、何か?」である。
9キロの道のりの中には、心惹かれるものが多くあった。
夕暮れ時に見ると美しい麦畑。涼しい木陰の小道。変わりどころでは、高速道路の入口などもあった。
勿論、高速道路へ進入することはないが、眼下に走る車の行く先に興味の目を向けたことは、一度や二度では足りない。
車があれば、東京まで行けてしまう道なのだから。
「大人になれば東京に行くのだろうか」
そんな事を呟き、真っすぐ伸びる道路の先に、未来の道があると信じていた。
一人散歩は、ブラブラ歩くだけが目的ではない。
散歩が持つ本来の目的は、地元にない本と巡り合う為である。
隣町には、無名の小型書店と個人経営の古本屋が数軒あった。
地域密着型の小型から中型の書店には、それぞれカラーがある。店主の好みや地域の年齢層などによって、大型書店とは取り扱う本が違ったりする。その為、古本屋に置かれた本のラインナップも普段目にしないものがあったりする。
地元から少し離れただけで、珍しい本と出会えることは少なくないのだ。
お小遣いが少ない私にとって、こういった古本屋はまだ見ぬ未知の本との出会いの場だった。
本屋を一通り楽しみ、財布に余裕がある時は、公衆電話に十円を入れて、家に電話をかける。
「今、〇〇駅にいるよ。今から帰るね」
電話を受けた母親は「出かけるっていうから近所かと思ったのに、何でそんなところにいるの」と笑っている。
自宅の最寄り駅と隣町は路線で結ばれておらず、電車を使うならば遠回りすることになる。
その為、隣町は車で行く場所であった。
電話の終わり際「気を付けて帰っておいで」と言ってくれる。
帰りも勿論歩きだ。
帰りの目印はいつも、某市にあるマンション。
それが見えている限り帰れる自信があった。
秋の日暮れはつるべ落としというが、本当に日が暮れるのが早かった。
早く帰らなくてはいけないのに、帰り道の半ば、夕暮れ時にだけ見れる絶景があった。
それは、9キロの道のりの半ばにある麦畑。
地平線の彼方にたなびく紫の雲に、黄金色の夕日。黄昏時の麦畑は、黄金の海に姿を変えていた。
風が吹くたびに、音を立てて黄金のさざ波がたつ。
金色に染まる景色の中で、夕日が沈んでいく。
その見事な輝きと、筆舌に尽くし難い金と紫の絶景に、私は何度息を呑み立ち尽くしただろうか。
何時までも見ていたい景色だが、黄金の元では黒い影が長く伸び、迫りくる夜をその内に隠している。
見惚れている内に、街灯に明かりが灯り始めた。
夕日が姿を消してしまうと、紫から藍の空に変わり、いつの間にか星が瞬き始める。
美味しそうな夕飯の香りがする住宅地をいくつも抜ける時、思っていたことがある。
「帰る場所があるから、遠くに行けるんだ」
一人散歩のメリットは、
自分の気持ちに素直に歩けることと、大切な何かを悟れることだと私は思っている。
だから、一人でいたいと思う時は、大人になった今も一人散歩をするようにしている。
────────────────────────
だから、一人でいたい
宮沢賢治の物語で好きなものはたくさんあるが、中でも一等好きなのは「注文の多い料理店」だ。
このお話に出会ったのは、幼稚園の時。
旅先の蓼科高原のロッジ(父親の勤めていた会社が保有していた別荘)でテレビを観ている時に偶然かかった。
アニメーションではなく、紙芝居タイプの番組で、動かない絵に物語のナレーションがついているだけのシンプルな作りだったと思う。
何故、「思う」という言葉を使うかというと、当時の記憶を探るに登場人物たちが動いて見えていたからだ。
しかし、かつてルドルフとイッパイアッテナも動いて見えていたが、大人になって紙芝居だったと知り驚いた経験がある。その為、自信はない。
「注文の多い料理店」は当時の私にとって、素晴らしい物語だった。
蓼科高原で体験したことよりも、「注文の多い料理店」が旅先の印象として残ってしまうくらいに。
幼い時の私は、一度見たものを何度も頭の中で再生することが出来たので、何回も何回も繰り返し頭の中で物語を味わっていた。いつしか沢山の記憶の山に埋もれ細部が霞んでしまっても、物語を楽しんだ喜びだけは残り続け、今なお星のように輝き続けている。
さて、宮沢賢治といえば、雨ニモマケズや農民芸術概論綱要など素晴らしい言葉の数々を生み出しているが、私が好きな言葉は「注文の多い料理店」の序文にある。本当は序文全てが好きなのだが、中でもというところを引用する。
───────────────────────
これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
『注文の多い料理店』序 宮沢賢治
───────────────────────
賢治先生が拵えてくれた「すきとおったほんとうのたべもの」を幼少期の澄んだ瞳をしていた時に食べることが出来たのは、今でも幸運だと思っている。
────────────────────────
澄んだ瞳
コロナ禍になる前の話だが、
大型台風が関東に上陸するというニュースを見て、
私は気が気でなかったことがある。
何故ならば、推しのイベントが台風に直撃する可能性があったからだ。
手に入れたチケットを片手に、SNSで情報収集をしていると、運営のアカウントがイベント開催を発信していた。
大型台風は、夜から明け方のうちに関東を抜けるという予報だ。運営側は予報に賭けたのだろう。
予報通りであるならば、イベント当日は台風一過となり交通機関もそこまでマヒしていないはずだ。
しかし、もし台風が長引けば、会場までの足が無いためイベント参加を断念しなくてはいけない。
参加できない場合は、チケットのお金は払い戻しをすると運営側は発信している。
払い戻しの対応をしていただけるのは、とても有り難いことだ。とても誠実な対応だと思う。
しかし、イベントに参加したい気持ちの溜飲を下げるには少々足りないのである。
欲しいのは、お金ではない。
推しと同じ空間に居られること、推しを生で見られること、普段では決してありえない──特別な喜びが欲しいのだ。
台風よ去れ!或いは、温帯低気圧に変わってしまえ!
私はチケットを握りしめ、スマホに映る台風の予想進路図にありったけの念を飛ばした。
私の念がきいたのだろうか。
或いは、あの台風が来るという時、他にも大型イベントが重なっていたので、そこに参加する人たちの想いが空に通じたのか──翌日、台風は姿を消していた。
私はチケットを大切に鞄に入れると、水没ギリギリの橋をいくつも越え、イベント会場に向かった。
会いたいと思う気持ちは、嵐をも消し去り
会いたい人に会える喜びは、嵐をも越える力となる。
ヲタクというのは、なかなかパワフルな存在だ。
まだ参加はしたことがない──というか、チケットが即SOLD OUTになってしまって参加できたことがないアーティストのライブは雨が多いという。
SNSを見る限り、雨を乗り越えるのもファンの中では慣例となっているようだ。
私もいつかソレを体験してみたいものだが、チケット戦争に勝てるかどうか。
嵐を乗り越えることより困難なのは、チケット戦争かもしれない。←
────────────────────────
嵐が来ようとも