『何でもないフリ』
これは私の生まれもった特技だった
と言っても、
これは決して特技にしてはいけないんだ…
いずれ、私のように心が壊れる
これが出来ると良いようにも思うかも知れない
例えば、悲しいフリ、寂しいフリ
そうすれば周りの人は困らないのかもしれない
けれど、これを繰り返すと…
悲しいとき、苦しいときすら
自分ですら行方不明になるんだ
それだけじゃない怖さはね…
嬉しい、楽しいってことすら
分からなくなってしまう
『何でもないフリ』なんかさ、しちゃダメだよ
ちゃんと自分の気持ちに真っ直ぐに
意思表示しないと…人間は壊れる生き物なんだ
大人になれば仕事上、大人の事情で
時には必要かもしれない
けれどこの『何でもないフリ』は
自分を壊すことになるよ
これは私が身をもって思いしらされた結果が
今なのだ…
ここまで来たら、
自分でも救いたくても救いきれないという
現実なのだ…
どうしても『何でもないフリ』を
しなければいけないのなら…
最低一人でも理解してくれる誰かをもっておこう
そうしたフリをした後に
ちゃんと事実を受け止めてくれる誰かを…
じゃないと…
私のように壊れてしまうから
私のように誰にも受け止められること無く
さ迷い続ける大人になってしまうから
だから、あなたは、君は
ちゃんと見つけてね!
私のような人を一人でもなくしたいんだ!
みんなには
自分の気持ちに素直に生きて欲しいな
『仲間』
『仲間』とは
同じ目標や目的、将来のために支え合い
協力し合う関係
に対し
「友達」とは
目的や利益がなくても連絡を取り合い
惹かれあう関係
らしい
で、考えてみたけれど
私には…どちらも今はいない
仕事をしていたときは『仲間』だったが
辞めたら結局そこまでだった気がする
私が病んでいるからと気を遣われているうちに…
『仲間』が「友達」になったと思ったら
連絡すらなくなった=「友達」ではなかった
これが現実だ
私が結局、悪いんだろう…?
気を遣わせて、周りを振り回して疲弊させる
わかっていないわけではない
でもこれは自分で抑えられるときと
そうでないときがある
どうしようもないことなんだけれど…
理解されることも難しいんだろう
だから
いつも孤独だ
精神疾患だと伝えた方が自分的には楽なのだが
伝えると退かれる
伝えずに普通を演じていたら
症状が悪化する
この繰り返し
一体…何が正解なのか?
ありのままを見せても、見せなくても
結局は孤独にはかわりない
なら
『仲間』も「友達」も要らないや…
ってなってしまう
その仮定を頑張ったとて、最後は孤独なら
なんのための時間だったのかさえ、わからなくなる
これが『仲間』も「友達」も
幼い頃に自分で作れる環境じゃなかった
今はイイ大人の拗れ女の終局…
残酷だ…
だから男性としか向き合えないのに
男性にも結局、最後は面倒がられて終わりなんだ
じゃあ…私の孤独や空虚感は永遠に
無くならないんだろうな
だから早く逝きたいって想うのは
そんなにいけないことですか?
『手を繋いで』
『手を繋いで』
歩いているお年寄り夫婦を見ると…
昔から思っていたんだ
「素敵だなぁ、
私もいつか…あんな風になれるのかな?」って
でも私のその夢は
結婚1年目にはもう
そうはなれないことを悟った
それでもね
今もそんなお年寄り夫婦や姉妹の
『手を繋いで』いる様子を見ると
ほっこりするんだ
私にはそんな未来は絶対にないし
したいわけではないけれど…
何故かあたたかい気持ちがわくんだよね
私の腹のなかは、真っ黒だと思っていたけど…
そうでもないのかも知れない
手を繋ぐって
簡単なようで簡単じゃないし
当たり前のようで
当たり前ではなくなる
それが親子であろうが、恋人であろうが…
だから
『手を繋いで』君と歩きたいんだ
温もりを感じたいんだ
当たり前に繰り返している人には
過去に何度も投稿した
当たり前に愛されてきた人同様
それがどれだけ幸せかってことに
残念ながら…気が付かないんだよね
でも私はその一つ一つが
その小さな小さな幸せが
その人たちより多く感じ取れるなら…
普通じゃなくたって、いっぱい辛くたって
繊細だって…
もしかしたら悪くない人生なのかもしれない
欲を言えば…
君と一緒に年老いて
君と一緒に『手を繋いで』歩くお年寄りに
なりたかったなぁ…☆ミ
君と出逢う前の私は
こんなにも穏やかに過ぎる時間があるっていうことを
知らなかったんだよね
昨日の題材になっちゃうけど…
だからこそ
「(沢山のことを経験させてくれて)ありがとう、
(でもいつも振り回して)ごめんね」
『ありがとう、ごめんね』
これって…人として
本当に本当に当たり前のことなんだけどね
【親しき仲にも礼儀あり】
っていうことわざもあるのにね
出来ない人って多いよね?
いや…みんなは出来るのかな?
私の生きてきた人生の周りには
これが出来る人が本当に少なかったんだよね
毒親から、毒姉から、毒夫から…
この言葉を聞いたことは一切ない
だけど私はね
この連鎖を止めるため
子どもたちにも教えつづけたしね
例え母だろうが間違った時は
子どもにだって「ごめんね」って謝ったし
感謝はちゃんと「ありがとう」で伝えつづけたよ
これってさ
案外出来ない大人が多い気がするのね
高齢になればなるほど頑固になるから尚更
出来ない人が多すぎる気がするの
昭和の発想なのかな?
謝ったら負け!
的に思うバカ(下品でごめんね…)がマジ多いのよ!
例えばタクシー(例えだよ、私の地域なんだけど)とか
お酒を飲んだ後、夜中に乗ったりしたらさ
大抵、高齢の運転手だったりしてね
わかるよ!わからない訳じゃないよ!
心のなかでさ
「お前らが遊んでいる間、俺はこの時間まで働いてんだよ!」
って思うよね、そりゃ思うと思うよ…
退職後、働ける所も少なくてさ、
夜中のタクシー運転手までして頑張ってるんだよ!
って思ってもいいよ、仕方ないよ
でもそれは心の中に止めて欲しいわけ…
だけど、だからって、
信号機がレースのスタートですか?ってくらいフライングはするし、
黄色~赤信号の合間は何故か青かのようにぶっ飛ばす…
終いには急ブレーキでお家にゴール…
で、QR決済オッケーなのに「それでお願いします」って言ったら…
「チッ!」って舌打ち…(「おい!こっちは客だぞ!」)
流石にいつもは穏やかな私もね…
名前チェックしようかと思ったりしたよ
だけどきっと色々みんな事情があるんだ…
って飲み込んだ
けど、これね、毎回なんだよねw
違う会社、違う運転手でもね
何故か私の地域はこういう人ばっかでね
逆に笑えるくらいになってきたけども
でも…
私は結構ないい大人なんだけど、
こういう高齢者にはなりたくない!って思うのね
ちゃんと誰にでも
『ありがとう、ごめんね』って言える人で
この世を去りたいわけ
わかるよ
世の中、矛盾だらけでさ、
おっちゃん、おばちゃんも
やさぐれるのも仕方ないさ
「こんなに頑張ってきた結果が、今ですか?
こんなもんですか?こんな最後ですか?」
って思うのもわかるよ
自慢じゃないけど、不幸自慢するなら私も負けないw
でもね、
矛先、違うくね?
自分より若い人への怒りに代えるのは違うくね?
その人より年老いてたら偉いわけ?
仕事出来なくても、年老いてたら偉いわけ?
親だから子どもより偉いわけ?
『ありがとう、ごめんね』さえ言えないくせに
何ほざいてんの('_'?)
って想うんだぁ
てか、ずーっと思ってた
小さい頃からずーっとね…
だから私はそんな大人になるくらいなら
大人の赤ちゃんでいい(数個前の投稿で何度も言ってますが…)
ちゃんと『ありがとう、ごめんね』が言える人で終わりたい
だから私はこれをずっとこれからも言い続けるよ!
例え孫にでも、例え知らない子どもにでも
感謝の「ありがとう」と
間違っていたら「ごめんね」を…
その私の一言で、すぐじゃなくても
誰かは救われるかもしれないじゃない?
だからきっと
この『ありがとう、ごめんね』は
とっても大きな力になるんだ
ねぇ?あなたは、君は言える?
言える人が一人でも増えたら
誰かのHAPPYも一つずつ増えていくと想うよ
『眠れないほど』
今は
君に会いたい…
君の声が聞きたい…
でも…
でも………
私が壊れたって
君は
私の君ではない
どうしたらこの気持ちを消せる?
私の記憶を
削除してくれ…
こんな
こんな私の人生の記憶など…
もう要らないや…
私の存在ごと
いっそ全部消してくれ