もっと知りたい
好きなもの
好きなこと
好きな人のことは
もっと知りたいと思うのは本能ではある
だけれど
本当に知る覚悟はある?
本当に知ることが出来るんだろうか?
物理的なことならまだしも
人となるとどうだろう?
私自身、私の事すらちゃんと理解したことがないのに…
そして人は変わっていける生き物だ
よくも悪くも変わっていく
だから本当のところ
他人も自分自身ももっと知りたいと思ったところで
真実は永遠に不確かではないだろうか?
もっと知りたい
そう思ったなら、それを好きな証拠にはなるが
メリットとデメリットが共存しているこを覚えておこう
それでも受け入れる覚悟が出来たとき
それは自分にとって最大の武器になり、味方となる!
それでもあなたは
それを
「もっと知りたい」ですか?
私は恐れずにもっと知りたい!
平穏な日常
そう言われると
何か軽んじてしまう気がするのは
私だけであろうか?
私には
穏やかに過ごせる毎日は簡単ではない
だからこそ
平穏な日常は私にとっては特別な日々になる
真っ暗な闇から這い上がれたとき
私とっては平穏な日常となる
それがどれほど幸せなことなのか?
闇に脅かされていないものは分からないだろう
闇を知っているものにしか分かり得ない
穏やかな毎日
それが「平穏な日常」
愛と平和
どちらも不確かなもので
証明するのは難しいもの
愛も平和も独りでも
想うこと願うことは出来るが
寂しく苦しい…
結局のところ
2つが共鳴出来たときに
真の愛と平和が訪れる
相手があってこその
愛と平和
人間もこの世に存在する全てのものは
単体では真のこの2つを手に入れることは
不可能なのかもしれない…
過ぎ去った日々
去っていくと言う表現は
なんだか切なく感じるのは私だけ?
確かに去っている
今こうしてる間にも時間は去っていく
だからなんだろう?
タイムマシーンが出来たという物語は
結局、過去を変えたら未来が変わるという代償が付きもの
だとすればタイムマシーンが出来たとして
今は変わらない
なら過ぎ去った日々に執着するのは無意味じゃない?
だから私は
過ぎ去った日々は振り返らない
前だけ見て歩いていく
それが私の生き方
「お金より大事なもの」
肝は「大事とは」である
主観的な立場で個人的意見や考えを表す場合に用いられるらしい
つまり
特定の立場にとらわれず、物事を考えなければならない
だとするとだ
今の社会では恐らくお金より大事なのは
個人的意見や考えを言えるようになる環境ではないか?
因みに私は普段
空気を読めないし
思ったことをすぐに口にしてしまう
障害のせいもあるだろう
嘘はつけない
だが部屋から一歩出たらそれらを封印する
それが常識だからだ
でも一般社会では空気を読め
年上を上司を誉めちぎらなければいけないし
友達や家族にだって
回りの意見に流され
思っていることを言えず独り苦しむこともある
そして
心を病む人が現代増え続けている
ならば
個人的意見=自分をさらけ出せる人
がお金より大事なもの、人なのかも知れない
たったひとりでも
自分をさらけ出せる人が
現代の社会でお金より大事な存在なのではないかと
私は思う
そのかわり相手の気持ちも聞くだけで構わない
ただただ聞いてあげて
よし悪しではない
自分の意見を言えること
それが大事でお互いにWin-Winであるのがベストだ