「ほら、パパもはやく右手出して!」
横に並ぶ娘に促されるまま、右手をピースにする。
「ちがうよー!人差し指折って!口にやって!」
娘は私の顔を覗きこみ、お手本を見せる。
そうする間も自分に向けて構えたスマホは動かない。
スマホを持たせてまだ3ヶ月だというのに、
もう使いこなしてしまっている。
さすが現代っ子と言うべきか。
言われた通りに右手を口元に添える。変な気分だ。
一方娘はにこにこしながら手早く画角調整を済ませ、
シャッターを押す。
「はい、まいはー!」カシャッ。
「そこはチーズじゃないのか?」
「パパもうそれ古いって〜笑」
あはは、そうか古い、のか…。
こんなところで老いを感じるとは。
「ところで、まいはー?ってなんのことだ?」
「My Heartのこと!よくわかんないけど、
かわいいとか、好き!って意味みたい。
今インヌタでね、すっごく流行ってるんだよ〜!」
そう言ってまた、例のポーズ。
「中指でね、口角をちょっと上げるのがいいんだよ」
なるほど、あの動作をして「My Heart」の掛け声で
写真を撮ることが最近のトレンド、と。
「ほら見て、かわいくない?!」
まいはーの真実に納得する私に、娘は画面を見せた。
先ほど娘と撮った写真が、#My Heartという
青文字とともにSNSに投稿されている。
娘は続けて、青文字をタップする。
少し間が空いて、おびただしい数の写真が
画面を埋め尽くした。
皆、さっきのポーズをしている。
家族と、友達と、恋人と…。
流行りとはいえ、やはり気になってしまう。
写真を撮る時からずっと引っかかっていた。
そのハンドサインは本来…
#My Heart
隣の芝は青い、隣の花は赤い。
いつだって人間は他人の何かを羨ましがってる。
自分にないものを、自分に足りないことを
もっと、もっとって求めて…疲れない?それ。
僕からすれば、自分らしく生きてるだけで
十分だと思うんだけど。
そうもいかないことが多いらしいね。難儀だねぇ。
でもね、いいんだよ、そのままでさ。
お腹いっぱい食べてたっぷり寝て、ゴロゴロする。
そんでときどきお散歩と、日向ぼっこする。
それだけで幸せじゃないか。
ん?そういうお前はないものねだりしないのかって?
それは僕には関係ないおはなしだ、にゃあ。
隣の芝は青いけど、こっちの芝には猫がいる、ってね
#ないものねだり
ドアスコープから見える光景に思わずフリーズした。
玄関前に大男が立っている。もちろん知らない人だ。
脚に力が入らなくて、その場にしゃがみこんだ。
どうしよう、外出れないじゃん。このままだと遅刻しちゃう。その前にこの人誰?会ったことないよね?というかなんで家の前にいるの?用があるならピンポンするよね?ひょっとして不審者?
…再び外を見ると、大男はまだそこにいた。
視界の端で大男の右手が何度か上下に動く。
あー、これはインターホンを押すかどうか
迷ってるっぽいな?
ともかく、そこからどいてもらわないと困る。
意を決してそーっとドアを開けてみた。
大男は何も言わず、じっと見下ろしてくる。怖い。
「あ、あの…うちになにか、ご用で…?」
おそるおそる話しかけてみた。やばい、声が震える。
すると大男はようやくボソボソと喋りだした。
「どうも…隣に越してきた、山田です…。」
そう言って大男改め山田さんは、
左手に持っていたビニール袋をつきだしてきた。
反射的に「あ、ども…。」と受け取ってしまう。
そんな私を見て、役目は果たしたと言わんばかりに
踵を返し、隣の202号室へ消えていく山田さん。
隣人というのは本当なんだな、と思いながら
私も部屋へ戻った。
不審者じゃなかったけど、変な人だったな…。
落ち着いて、ふと時計を見る。はい、遅刻確定。
仕方ない、1コマ目の授業は諦めよう。
あの隣人のことはどうも好きになれそうにない。
まぁいいや、挨拶には来てくれたんだし、
無愛想なだけで本当はいい人なのかもしれない。
初対面で相手のことを判断するのは良くないよね。
そう思い直し、あらためて渡された袋の中身を見た。
「…みかん、好きじゃないのにな…。」
隣人とうまくやっていくには、
まだまだ道のりが長そうだ。
#好きじゃないのに
便利な世の中になった。
雨雲レーダーを見れば、いつ雨が降るのか
分単位で分かるんだってさ。
もう天気に困らされることはなくなったのかもね。
でも。
朝の天気予報で「傘を持ってお出かけくださいね」と
お天気お姉さんが気遣ってくれるのも、
賭けのつもりでわざと傘を持たずに家を出るのも、
なんだかんだ楽しみなんだ。悪いね。
今日の予報は「ところにより雨」。
おみくじだ。降らなければラッキー。
祈りつつ行くよ。
#ところにより雨