幼かった頃
緑の小箱に入ったブローチが
私の宝物だった。
淡いピンク色のブローチ。
バブーシュカを被る女の子の絵柄が可愛かった。
周りには銀色に光るものが縁取られ、自分はそれがダイヤモンドだと思っていた。
絵の部分は少し浮き出てて、
触ると冷たいのに何故か指にフィットして気持ち良く、
反対に周りはゴツゴツして、まるで女の子を守るイバラのようだった。
誰からもらったのか。
きっと母親からだろう。
箱から取り出しては眺め、
またしまう。
その眺めている瞬間が
たまらなく好きだった。
絵の中の女の子は私で、
昭和チックな妄想に時間を膨らませていた。
今はもうない。
捨てたのか。
私の幼心もどこかに捨ててしまったのかな。
たくさんの思い出
これだけ長く生きてきたら
たくさんの思い出
そりゃあいっぱいありますよ。
映画インサイドヘッドに出てる
「思い出ボール」を思い出す。
始めての体験や記憶がボールとなって脳の中で収納されるやつ。
もちろん私の脳には思い出ボールが
数億個入っているだろう。
ちゃんと整理整頓されているかしら。
「そう…あれなんだっけ…
あれよあれ」
時々モノが思い出せなくなっている。
私の思い出ボールはきっと床に
ゴロゴロ転がってるかもしれない。
片付けなくちゃ。
そしたら記憶力良くなるかしら。
ここ南国にも秋が来ている。
窓を開けて寝ていると、季節の気配が直に感じられる。
このところ明け方はかなり涼しくなっている。
肩が寒い。
半ズボンから出た足が寒い。
蹴って身体から離れたタオルケットを手探りでつかみ、体に巻き付ける。この時間だけは毛布が肌恋しくなる。
記録的な暑さが続いた夏。乗りきった猛暑が一段落し涼しくなると、体がホッとして力抜けてしまう。
毛布を身体に巻き付けた
この瞬間を味わう。
また、冬になったら
寒さで力が入るのだから。
北風の強い夜が私は寂しい。
「母を尋ねて三千里」が好きだ。
出稼ぎに行った母を探しに遠い国まで旅する話。
日本でいうと、遠いブラジルへ小学生の男の子が旅するって感じかな。
アメデオ(猿)を肩に乗せ、風立つ草原に佇むマルコは哀愁に満ち、なんとも大人びた顔をしている。
何故お父さんが家にいてお母さんが出稼ぎに出たのか。
そんな遠くへ出稼ぎいくくらい家計が苦しかったのか。
遠くへ行けば行くほど稼げるのか
と、幼心に思ったものだ。
お母さんと再会できたシーンは
フランダースの犬の次に泣けた。
また観たいな。
ここ南国でも秋風は吹く。
暑苦しい夏がバタッといなくなる。
もうすぐ冬がやってくるよ。
そう言って私の肌の湿気を
さらっていく。
秋風はとてもスマートだ。
期待を持たせては時に裏切る。
爽やかで昔風に言うニヒルなやつ。
私は冬の前座だよ。
控え目なところもなおいい。
前座と言わず、
一年の主役になってよ。
私は秋風が好きだ。