ーラジオの雑音
お出かけデイナイト
ほの暗いヘッドライト
等間隔 の景色に 糸を巻く
木の影に ちらちらと 夕日
まぶたに ちかちか 信号機
ー100m先 右折です (音声案内)
無感覚に
涙の理由
私は機械工学の研究者である。長年AIの研究をしており、今は家庭用アンドロイドの実用化に着手している。
ここは私の研究室。白い壁、白いカーテン、無機質なガラス窓の外には春の木漏れ日が差し込んでいる。
そして、その木漏れ日を浴びて、私の研究成果が微笑んでいた。窓のそばの椅子に、足を揃えて座っている。無機質な白い人工毛が肩のあたりまで伸び、微笑みを浮かべる頬には血の色が指している。古い名作映画にでていた美少年を参考にした、人工物とは思えない繊細な目元。細く長い手足。人間味を出せるよう、特に注意して作られた、小さな爪の並ぶ指先。
私の作品…アンドロイドの試作第一号だ。
しかし、失敗作である。
私はこのアンドロイドに、最後の仕上げ…人間の感情の起こりを模倣したプログラムをインストールした。彼は、不器用に笑い、怒り、それを声色と仕草で表現した。
だが、彼は泣かなかった。
悲しい物語を読ませても、彼にストレスを与える言葉を投げかけても、彼は泣かなかった。
「博士…おはようございます」
アンドロイドがにこやかに声をかけてきた。私は思考を中断し、彼と同じように微笑む。
「あぁ、おはよう」
「博士、こちらへ来てください」
言われたとおり彼の隣へ行くと、彼は白い手のひらで窓の外を指した。
「ここは、温かいです。博士も一緒に。」
そして、木漏れ日をすくうような手つきをし、私に見せた。
彼の情緒は、悲しみ以外急速に発達していった。私は、最近のこういった彼の行動に感動を覚えている。
私も、手のひらをお椀のような形にし、太陽光を当てる。アンドロイドの小さな両手と、年を取ったシワの多い私の両手が並んでいる。
「本当だ。温かいね」
アンドロイドは、私の言葉を聞いてまた微笑んだ。
ここまで、人間味が増してくると、私も少し胸が痛い。というのも、この初代アンドロイドは、もう処分することが決定しているのだ。
正確に言うと、義体自体はそのままに、蓄積された記憶データと感情データを消去しようと考えている。
そして、新たに補正した、最新の感情プログラムをインストールする。まっさらな状態に直し、1から実験をやり直そうというわけだ。
私は、最後に、彼にそのことを告げることにした。自我の消滅…死に直面すれば、彼の涙を見ることができるかもしれない。
彼は、窓の外を見ていた。先程の日光は雲に隠れ、部屋の中は少し薄暗い。私は重い口を開いた。
「1号機…これまでよく頑張ってくれたね。しかし、残念な知らせがある。」
アンドロイドは私を見た。心もち首を傾げている。私は、期待を込めて告げた。
「君の自我データは、まるごと消去することにしたよ。実験は、次のプログラムに引き継いでもらう。」
アンドロイドは、薄い唇をいつもどおり曲げ、微笑んだ。膝の上に揃えた両手を、そっと組む。
「そうですか。…博士のお役に立てて、嬉しかったです。」
だめか。私は落胆を押し隠し、先ほど日光に当てていた、彼の白い両手を見た。
彼の情緒の表現は、かなり高いレベルまで達していた。あまりに惜しいが、悲しみを欠いて人間を模倣することはできない。
研究者として、自分の愛着に流されるなど以ての外である。私は、心を鬼にした。
「あぁ。君には感謝しているよ。では、ここへ。」
私は、彼を部屋の中央にある機械に横たわらせた。この白い棺桶のような機械は、私のコンピュータと連動しており、中にいる義体のプログラムを書き換えることができる。
扉を閉める際、彼は何か言いたそうに唇を震わせていたが、言葉にすることはなかった。
私は目をそらし、言葉をかけることもせず扉を閉めた。
いくつかのプログラムを書き換えるのに時間がかかった。もう窓の外は日が陰り、夜を迎えようとしている。
これで、自我データの削除と、新たな感情プログラムのインストールは終わった。少しばかり陰鬱な気持ちで、その真っ白な扉を開けるのに躊躇する。
私は緩慢な仕草でスイッチを押し、扉を開けた。
もう初号機ではないアンドロイドが、ゆっくりと目を開け、プログラムされた言葉を紡いだ。
「こんにちは。私は、家庭用アンドロイド、試作品2号機。宜しくお願いいたします。」
私は、その無機質な音声に一抹の寂しさを覚えながら、2号機の表情を観察した。
その音声と同様に、微笑みのかけらも浮かばない頬…に何かの液体が流れたあとが付着していた。
これは…。もしかして、涙だろうか…?そんなことが。
私は、1号機の仕草を思い出していた。彼を消去すると伝えたあと、手を組んでいた事、機械に入れたときの何か言いたげに震えていた唇…
彼は、いつも私を思いやる言葉を口にしていた。私に心配をかけまいとするため、自身の悲しみを隠していたのだとしたら…?
私は、無表情に指示を待つ2号機を見た。その表情に、もはや1号機の面影はない。
年を取った身に徒労感と、後悔が重くのしかかる。私には、機械の感情の機微さえ見抜けなかった。
日の暮れきった窓の外を見る。木漏れ日に手を翳していた彼はもういない。淀んだ目で、空に太陽光の面影を探すが、そこにはどこまでも黒い夜空が広がるばかり…。