どうすればいいの?
どうすればいいのか分からなくなった時は、とりあえず何かしておけばいい。
けれど、何もできない時もある。何もしなかった場合、後悔するかもしれない。分かっていてもその行動を取れないこともある。だから、何もできないのは、ある程度しょうがないことだ。
咄嗟に何かをした時、それが正しくても、間違っていても、後悔するかもしれない。それをしょうがないと思えるほどの心を持っている人は相当少ないだろう。
やって後悔するか、やらずに後悔するか、よく考えてみてほしい。どちらがより後悔するか。もしくは、どちらが後悔しないか。
私の場合、やって後悔する方が嫌だ。でも、だからってやらなければよかったと思っているわけではない。あくまで、やらずに後悔するのと比べた場合、だ。
それでも、どうすればいいか分からないなら、いっそ、誰かに縋って(押し付けて)みてはどうだろう。
自分にとっての「どうすればいいの?」が相手にとってはとても簡単なことかもしれない。それも立派な選択肢だ。
その選択肢を選んでも、選んだら選んだで後悔するかもだけれども。
(前の作品でもっと読みたいが400超えました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします)
理想郷
“理想”というのは誰しも持っていて、内容は人それぞれだ。自分の欲が満たされているところを理想郷と呼ぶも、嫌いな人が不幸になるところを理想郷と呼ぶも、自由。
けれど、その中でも自分の幸せを願うのではなく、他人の幸せを願う人もいる。他人というのは親族でも友人でも、そして赤の他人でも、誰でもいい。
とにかく、自分のことよりも他人のことを優先したり、大切に思うという心がけを持っていることは本当に素晴らしいと思う。
でも、自分のことも大切にしないといけない。自分も他人と同じ、“人間”なのだから。
自分を守れずして他人を守るなどできない。
ということで私にとっての理想郷は、みんなが他人のことを大切に思っているところ、ではなく、みんなが他人のこと“も”大切に思っているところ、なのだ。
みんなが幸せであってほしい。そして、みんながみんなの幸せを願ってほしい。それだけが私の望みです。
懐かしく思うこと
何気なく聴いた歌がなぜか懐かしく感じたり、時計を見て針の向きがやたらと懐かしく感じたりする。
思い出や記憶というのは無自覚や無意識に残っていくんだなと思うんだけど、そのときなにがあったのか、なんでそういう行いをしたのか、鮮明に覚えてない部分もある。けれど、日記や写真を見ることで少しだけ分かる。
もちろんちゃんと覚えていることもあるわけで。
小さい頃、お母さんやお父さんを“ママ”“パパ”で呼んでたこととか、かなり幼かったときのことも、ものや場合によってはいろいろ。
そういうのを懐かしく思っているあいだにも思い出は残されていく。“時間”や“もの”や“記録”が10年、20年後の自分に伝えてくれる。
今、このときに、自分がなにをしていたのか、なにを感じていたのか、とかね。
(前の投稿からかなり経ってしまいました。お久しぶりです。あと、アプリの名前が変わってて驚きました)
大通りを走る。
車や人が行き交う都会の路を、
俺はスピードをだして走り抜ける。
君の所へ向かう。
初めてできた恋人と、
初めて入る他人の家へ。
晴れの日。
咲き誇る桜を見ながら、
ペダルを漕いでいく。
坂を登る。
45度くらいのきつい坂を、
俺は立ち漕ぎで登りきる。
住宅街を走る。
事故を起こさないように、
俺は少しゆっくりと走る。
夜、坂を降る。
街灯に照らされながら、
ブレーキを踏まずにスピードをだしながら。
都会に行く。
次第に明るくなる路を走って、
何を買おうか、とか考えながら。
俺は自転車に乗って、家に帰る。
今日もいろいろあったな〜って思いながら、
今日も布団で眠る。
君の奏でる音楽を最近聴かなくなった
新曲も出てないし、
もう音楽を辞めてしまったのだろうか
君の奏でた音楽はとても良い曲だった
リズム、メロディー、
たしか作曲、作詞も君がやっていた
君の奏でる音楽をまた聴かせてほしい
またあの音楽室で、
またあのメンバーで、集まりたい