私の当たり前。 6作目
「起立性調節障害です。」
そう診断された、中学時代。
自分は吸血鬼なのではないか?と思うほどに朝、光が眩しくて眩しくて。 光を浴びたくない。布団から出たくない。怖い。人に会いたくない。それでも、こんなので挫けてたら生きていけない。休んじゃだめだ と思って毎日休まず、学校に行って勉強した。
心療内科も、内科も効果はなかった。
大人になれば、治ると思っていた。
けれど、高校生になっても治らない。
症状はどんどん悪化するばかりで、
影が気持ちに纏わりついて、
自分の意思で動いているのかどうかもわからない。
ぼんやりとして言葉が絡まって出てこなくなった。
視界が霞んで、真っ直ぐ相手を見れなくなった。
これが私の当たり前だった。みんなもこれが普通なんだ、と思っていた。自分だけ、うまくできていないんだと。
高校卒業。2月だった。
大学が始まるまで、あと1ヶ月半。
このままじゃ、だめだ。18歳、成人なのに情けなさすぎる。治したい。いや、治す。決めた。
泣きじゃくって親と相談して、ダメ元で接骨院に通い始めた。
そうしたら、みるみるうちに朝の光が和らいだ。
改善された。治った、訳ではなかった。
この先も、きっと治らない。でも、
当たり前が、当たり前じゃなかったことに気がついた。
視界が、霞みつつも光がみえた。
人間だと思えた。
街の明かり。5作目
夜の静かな時間。ひとりだけの時間。
横たわっていると
窓の外に、街の明かりがひらひらと見える。
明かりの数だけ、人がいる。生活がある。
私と同じことを考えている人が、
同じことをしている人が、
私の、いわゆる運命の人とかいう人が、
この無数の街の明かりの中に存在しているのかな。
七夕。4作目。
七夕。7月7日。天の川を超えて、年に一度だけ。織姫様と、彦星様が会える日。
この場合の関係は恋愛だけれど、恋愛に限らずのお話をしたい。
現代。
気軽に出会えて、気軽に別れることができる時代。
ずっと同じ人と過ごすことは、不可能に近い。人と人の間に、永遠なんて言葉が果たして存在するのかどうかすら疑わしい。少しずつ重なって、離れていく影同士。もつれたあやとりになったりもして。解けたりもして。
たとえ離れてしまっても
年に一度、会いたい人はいますか?
私のお願いは。
私に少しでも関わってくれた人たち全員が、離れている人もそばにいる人も、幸せに過ごせますように。彼ら彼女らがたとえ私のことを好いてなくても、覚えていなくても、願うよ。
友だちの思い出。
あの頃はよかったね。
“あの頃”だって嫌なことや苦しいことはあるはずで、そんなの幻想だよ。
まあ、そうだね。だけどさ、思い出って支えになるんだよ。だから、そう思える事はきっと、素敵なことなんだよ。人間の、特に若い人、思春期の記憶っていうのはさ、危険を回避するためにポジティブな記憶よりも、ネガティブな記憶の方が残りやすいんだよ。そう考えたらさ、”あの頃はよかった!”って思える記憶は、たとえ嫌なことと隣り合わせだったとしてもね、宝物にしていいと思うの。
これからも、支えにして生きていこうよ。
星空。
ふと、空を見上げた。黒がもやもやとしている。
本当の星空を見たことがない。
他人に言えば そんなはずはない、私は毎日見ている とよくと言われる。
そうだろうか?都市の光に照らされ、星など見えない。
プラネタリウムで観る星だって、レプリカ同様だよ。
星空なんて、本当に存在しているのだろうか?
そんなことを思いながら、今日も帰路につく。