「命が燃え尽きるまで」
自分は大学二年になる男だ。高校を卒業して田舎の地元が嫌になって、でも東京なんていう大都会にに行く勇気もなくて同じ地方の都会に出てきた。特に将来やりたいことも見つかってなくてただ生きてるだけだ。最近は目についた言葉について気が向いたらなにか書くことをしている。そんなことをしてる身長がまぁまぁ高めなくらいで特に個性もない普通の人間だ。今はアパートに一人、いや…厳密には一人と一匹…?というとこだろうか。自分がここに来て少したってからある野良猫が懐いてたまに家にいる。この猫の話はいつかするとしよう。今回はこんな自分にも高3から彼女がいて、その彼女とのある話をしたいとおもう。おい、そこのお前。驚いてんじゃない、彼女に失礼だろうが。まぁ、今日は「命が燃え尽きるまで」ということで、それについてのお話だ。自分が高校の時にあるテストがあった。そのテストで自分はまぁとんでもなく大失敗をしたんだが…彼女は逆に大成功をしてとんでもない点数をとっちまった。それが問題だった。これまでに彼女のほうが勉強ができるということはわかっていた。それに対して時折、嫉妬というのだろうか、悔しいというのだろうか。いや、やるせないとでも言うべきだろうか。いや…これも違うだろう。なんだろうな、これがなんという感情かはずっとわからないまんまで、この時まできた。こう…心の片隅がもやもやしたまま。でもその都度消してきた”つもり”だった。そしてこのテストの時、心がやられっちまった。この感情が今までよりもたくさん自分の心を覆い尽くしたんだ。染められてしまった。彼女は、たまたま勘が当たっただけだ、次の模試がもっと点が下がるのが怖いといった。でも運も実力のうち、それどころか普通に自分は実力で負けたんだ。それも大差で。まずは彼女にすごいね。といった。でも心の底から祝ってあげれなかった。彼女の点数を聞いたときの最初の感情は言葉では表せない。でも負の感情が大きいというのはたぶん、間違いじゃないだろう。自転車で帰るときにあぁ、なんて自分は心の狭いやつだ、どんだけ自分の身がかわいいのだ、なんてひどいやつだ、と自問自答した。途中まで自分は一番抱いてる大きな感情は悔しい、情けない、置いていかれた、といったような負の感情だと思っていた。あながちそれも間違っていないんだろう。でも一番大きかった感情がなんだったのか。心がもやもやする原因は他にあるのではないか。独り言をブツブツつぶやきながら帰っていてある感情に気づいたんだ。自分が抱えている一番大きな感情は”自分が許せない”だった。この感情を詳しく説明すると彼女の成功を自分が一番喜んであげたいのに、自分は素直に喜んであげれなかった。喜ぶどころか自分は大きな負の感情を抱いていた。そんな自分が許せなかったんだ。この感情に気づいた時、心が少し軽くなったんだ。いままでわかんなかった感情に答えがでたんだ。だけどこの感情”しか”なかったといったら嘘になるだろう。悔しさや、情けなさがあったというのは事実だ。だけどこの自分を許せないという感情が一番大きかった。この感情を持ったままでは、いや、大きいままでは彼女に合わせる顔がない。だから彼女を越えれるようにもっと努力をしようと思った。そうすれば努力をしてる間、彼女を越えようとしてる自分に自信がもてれば自分を許せないという感情が少しでも減ると。そしてこの時自分は決めたんだ。自分は彼女にもう勝てないかもしれない、きっと彼女は自分の先をずっと行くだろう。学力も、人間性としても。でも自分の先を自信を持って進んで行ってほしい。そこに迷いを、負い目を感じてほしくない。また自分から無駄なプライドが無くなることもないだろう。だから決めたんだ。この「命が燃え尽きるまで」彼女を全力で追いかけ続けたまには並走し、時にはちょっと前に行きを繰り返す。そのようにしてずっと一緒にいるんだと。今日はこれでしまいだ。これからも自分の話を聞きにきたきゃ来い、たまに書いてるから。